「名前を出さない」といえば、ゴーストライターという存在がありますね。記憶に新しいところでは、「現代のベートーヴェン」こと佐村河内守氏の事件です。全聾の障害を克服して作曲したという「交響曲《HIROSHIMA》」が大ヒットした矢先、桐朋学園大の講師だった新垣隆氏が週刊文春の記事で「18年来ゴーストライターだった」と名乗り出て、大騒ぎになりました。本人も大筋でゴーストライターの事実は認め、謝罪した事件です。
ゴーストライターという存在じたいに脚光があたり、「本人が書かないなんてとんでもない」という意見から、主に業界筋の「佐村河内氏の件は悪質だが、ゴースト自体は当たり前の存在であって、要は成果物が良ければいいのだ」という意見まで、さまざまな論争を招きました。
このゴーストライターを使う際には、口頭あるいは文書での「ゴーストライター契約」が交わされます。(当事者は必ずしも「契約」とは思っていないでしょうが、口頭でも確たる依頼と引き受けがあれば立派な契約です。)これはどういうものかというと、(1)肝心の、誰の名前で作品を公表するかという「著作名義」の合意、(2)ゴーストライターから「依頼者」への著作権の譲渡や独占的な許諾の合意、(3)支払条件、などからなります。
名前を出さなくて良いというのだから、(1)は、一見すると著作者人格権(氏名表示権)の放棄のようにも見えますね。これは出来るのでしょうか。著作者人格権は、著者の最低限・最後の権利ですから、人に譲渡することも、放棄することも出来ないと考えられています。
そんなこともあって、またゴーストライター契約というものは世を欺く怪しからんものなので、「無効」だという見解も有力です。実際、そういう判決が出たこともあります。
ただ、著作者人格権の放棄は出来ないけれども、「この件では人格権は行使しないよ。僕の名前を出してとは言わないよ」という、「不行使の約束」は有効だという見解が有力です。実際、どんな名前で公表するか決められるのが氏名表示権なのだから、「名前を出さない」ことを著者が合意するのも自由といえます。(別な見方をすれば、ゴーストライターの場合、名前を出さないという形で氏名表示権を行使している、とも言えるかもしれません。)
そのため、ゴーストライター契約を一律で無効というべきかは、疑問もあります。また、そもそもゴーストという存在については擁護論もあります。たとえば、スポーツ選手やタレントが本を出す時にはライターさんがついて「聞き書き」をしたり、本人への取材に基づいて事実上代筆したりすることは少なくありません。典型的なゴーストライターの一種といえるでしょう。
しかし、そうしたライターがいても、ファンの期待をそれ程裏切ってはいないのではないか、という指摘もあるのですね。多くのファンは、本が自分の好きなタレントの思いやエピソードをおもしろく率直に綴ったものであれば、実際にペンを動かしたのがライターだとしてもそんなに不満は抱かないように思えるからです。
そもそも、さまざまな創作現場でのアシスタントや編集者的な存在が、創作の相当な部分までサポートすることは珍しくありません。「名前の出ない創り手」は無数にいて、それを全て悪いものだとする考え方は極端でしょう。
ただし、佐村河内氏の事件については、擁護論はあまりありませんでした。というのも、「全聾の彼が自ら曲を編み出した」という、いわばサイドストーリー“込み”で多くの方はCDを買い、コンサートに通い、そして感動していたからです。つまり、購入動機の核の部分で購買者を騙しており、これでは悪質で詐欺的と言われてもしかたがないでしょう。
つまり、「そうと知っていたら買わなかった」と言われるようでは、ゴーストライターはさすがに擁護しようがなくなるのです。
命を惜しむな。名を惜しめ――。著作者人格権とクレジットは、クリエイターの誇り、ビジネスの実利、そしてファンの期待という3つの要素が絡み合った、なかなか「大人な」法律分野なのです。
(続きは次回)
レビューテスト(17):著作者人格権は放棄できないので、ゴーストライターの約束は常に無効である。○か×か。はっきりした正解はありませんが、本文を読んで考えてみよう!
最後に宣伝。9月中旬、筆者の5冊目の新書が集英社新書から発売されます。ご興味あれば! 「誰が『知』を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争」(集英社新書)福井健策
1991年 東京大学法学部卒。1993年 弁護士登録。米国コロンビア大学法学修士課程修了(セゾン文化財団スカラシップ)など経て、現在、骨董通り法律事務所 代表パートナー。
著書に「著作権とは何か」「著作権の世紀」(共に集英社新書)、「エンタテインメントと著作権」全4巻(編者、CRIC)、「契約の教科書」(文春新書)、「『ネットの自由』vs. 著作権」(光文社新書)ほか。
専門は著作権法・芸術文化法。クライアントには各ジャンルのクリエイター、出版社、プロダクション、音楽レーベル、劇団など多数。
国会図書館審議会・文化庁ほか委員、「本の未来基金」ほか理事、think C世話人、東京芸術大学兼任講師などを務める。Twitter: @fukuikensaku
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