PS Vita「俺の屍を越えてゆけ2」桝田省治氏に聞く“ゲームの面白さと制作の難しさ” - (page 4)

今のゲーム制作の難しさは、情報量のさじ加減

--長くゲーム制作に携われている中で、今だからこそゲーム制作で難しいと感じるところはありますか。

 グラフィックで細かいところまで見えてしまうことでしょうか。ファミコン時代初期のRPGでは、主人公が移動していてもその方向に向いてなくて常に正面を向いていたこともありましたし、苦しそうなのか楽しそうなのかは画面からはわからない。それはプレイヤーの頭の中と、表示される数字なり文字が黄色くなったり赤くなったりという記号で想像していたわけです。ものすごく昔にはキャラクターすらなくて、「α」とか記号が動いていて、それを自分の分身だとしていた時代もあって。そのころは、ある程度の想像力が働く人しか面白くなかったんじゃないかな。後ろから見ていたって、なにが面白いのかさっぱりわからないでしょう。

 今は指一本一本、顔のしわがわかる状態まで作れる。後ろから眺めていても映画やアニメを見ているのと同じように、それなりに伝わって面白そうに見えるでしょう。どっちが敷居が低くて訴求する力が強いかを考えると、商品としては絵でわかりやすく説明されている方が強いよね。

--たしかにグラフィックで求められている水準はものすごく上がっていると思います。

 それをやりすぎてしまうと、その情報だけで満足してしまうから余計なことを考えなくなるんです。だけども、その余計なことを考えるのがすごく面白かったりするわけじゃないですか。その情報量のさじ加減こそが、一番難しいところです。「俺屍」でも「一族のキャラクターをもっとしゃべらせて欲しい」「表情を豊かにしてほしい」という意見もあるのですけど、あれ以上やると想像できなくなってしまうんですね。こういう要望に応えた方が良さそうに見えても、結果的に面白さを奪ってしまうことになると思います。

  • 毎月の出来事をまとめたコーちんの日記である「月報」。その月に撮影したゲームの画面写真と共に、一族の軌跡を振り返ることができる。その月に撮影したゲームの画面写真がない場合は、コーちんの描いたイラストが載る

 起きた事実だけは記録として残していますけど、なぜ起きたかとか家族のなかでの関係はなるべく排除して描かないようにしたんです。事実と事実の間に何が起こったのかを、プレイヤー側が想像して楽しむというのが、もともとの「俺屍」の面白さであり魅力です。だから敷居が高いんですよね。前作を発売初期に買うような人は、新しいもの好きな人たちであったわけで、ゲームに対しての好奇心が強くシステムの理解度も高い人たちです。その人たちがブログなどで一族の歴史などを書いて、それを見て面白いと感じた人が手に取ったわけですから。そういうユーザーは、想像力を働かせる素養のある人たちだと思っています。

--想像することも含めての「俺屍」の楽しみということですね。

 リメイク版のときには好物とか口癖などの一文を付け加えたんです。これをひとつ入れるだけで、想像することのハードルは下げられたと感じています。これもあんまりやり過ぎると、自分が想像しているキャラクターと違うと言われてしまうので。

  • 一族の個人情報で、パラメータの下に特徴を表す一言が記されている、

 表情についても、同じような顔でもプレイヤーによってクールなキャラクターだから一生に1度しか交神していないと思ったり、あるいは家族の中でくだらない冗談を言うようなムードメーカーと想像する人もいる。表情を付けると、どっちかが否定されることにもつながるから、要望する気持ちはわかるけど難しいですね。涙を流しているシーンもアップで作れますけど、プレイヤーの気分としては涙を流している気分でなかったとしたら、それでは興醒めしてしまいます。

--最後に、これまで数多くのタイトルやコンテンツに携わられたと思いますが、そのなかでも桝田さんにとって「俺屍」「俺屍2」はどんな存在ですか。

 「俺屍2」は、「俺屍」を遊んで15年間愛し続けてくれたユーザーへの最大限のサービスをしたつもりですし、そのユーザーのために作ったと言えるものです。

 もちろん独特なゲームで敷居の高さもありますから、「俺屍」があわない人はいるでしょう。ただ、面白がってくれる人たちは年齢と時代に関係なく、いつも一定数はいると思います。タイトルは聞いたことある、あるいは岸部一徳さんが叫んでいるCMは知ってるけれど遊んだことがない、そんな新しい世代のユーザーに向けて、「『俺屍』大好きな先輩たちが15年間支えてくれて、今遊べるようになった『俺屍』はこんなに面白いものだ」というものを、責任を持って出したと。これからのユーザーは強く意識しましたし、次の世代に伝える「俺屍」が「俺屍2」です。

 ただ、前作ほど僕の主張は入ってないのかもしれません。前作の制作時のノリを思い出したり、続編でやるべきことを選別するにあたって、当時の資料なり戦闘などの内部の式を見直したりしたんですけど、なんでこのパラメータや式が入っているのかが、わからないようなものもあったんです。でも、当時の自分が「俺屍」はこういうゲームだという主張が、そこには入っていたんですよね。それを大事にしながら作ったのは事実としてあるわけで。

 今、ゲーム作りとして同じお題を与えられたとしたら、「俺屍」のような形にはならなかったでしょう。振り返ってみて「こんなところにこだわって作ってあるなんて、15年前の桝田さんはすごいな」と思ったりもしました(笑)。バラエティに富んだ数々のテレビゲームのなかでも、こういうものがあってもいいよねという存在になれるものを残せたんじゃないかな。それが僕にとっての「俺屍」で、なかなかいいゲームですよ、と言えます。

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