1週間のご無沙汰でした。連載第2回です。今回初めてという方、全体の連載予定は第1回をご覧ください。
前回は、著作権が働くのは「著作物=創作的な表現」だけだという基本をお話ししました。もっともこれでは抽象的なので、著作権法ではこれら9つの著作物の例を挙げています。
この例はとっても役に立ちますが、実は実務でハタと困るのはこの例では判断がつかない場合なのですね。その場合には、やはり「創作的な表現とは何か」という、意外と哲学的な問いに私たちは直面しているのです。というわけで、もう少しこの「創作的な表現」の話におつきあい下さい。
ただ、このままではやはり抽象的なので、今日は反対から考えてみます。つまり「何が著作物ではない情報か」ということです。世の中の情報は著作物とそうでないものに大別できるといっても過言ではないと書きました。著作物でなければその情報を自由に利用できる可能性はグッと高まります。そこで「何が自由に利用できる情報か」という例を、5つ挙げます。これも相当使い出のある知識です。
最初は「創作的な表現」でないものだから、「ありふれた・定石的な表現」です。前回、「短編小説といえども一編の小説をまったく創作性を込めずに執筆する方が至難の業」と書きました。その通りです。でも、それは小説全体を見た場合の話で、これを細かく分解すると、意外にパーツはありふれているのですね。
たとえば一文ごとに分解してみましょう。「少年は、背筋を冷たいものが走るのをおぼえた」という文はどうでしょうか。最初に思いついた人はすごいかもしれませんが、今やありふれていますね。よく言えば定石的です。ですから、誰かが生まれて初めてこの文を読み、それがなんとなく印象に残っていて、10年後に自分の小説やブログを書くときに「誰々は背筋を冷たいものが走るのをおぼえた」と書く。これはもちろん問題ないわけです。
そう考えないと、我々はどんなにすぐれた小説を書こうが、十数年前に読んだいずれかの教科書や、お母さんが読み聞かせたどれかの絵本に対する著作権侵害だった、ということになりかねません。そんな風に考えたら、文化は窒息するのです。ですからそうは考えません。
そしてここに、ハタと悩む場面では「創作的な表現」という壁にぶつかっていると書いた理由があります。つまり、作品全体がいくら著作物だとしても、その一部を使いたいと思った場合、その部分が創作的な表現でなければ借りてもよいのです。つまり、使われる部分ごとに見るということです。実際、我々は普段そんな風に考えて行動していますよね。短編小説をまるごと無断で転載したらいけない気がするけれど、人の作品から学んだありふれた一文は躊躇なく使っているはずです。
ここで、まだ疑問は続きます。「創作的な表現とありふれた表現の境目って、どこにあるのだろう。その境界は曖昧な気がする」――その通りです。長さでいえば、一文だとありふれたものが多いかもしれないけれど、1頁の塊ならたいてい何らかの独創性はありますね。とすると、その間のどこかで著作物への境界線を越えたことになります。
では線はどこにあるのか。それは恐らく、時代や国によって若干変動します。はっきり指し示すことはできませんが、よく「高い創作性などは必要なく、最低限の作り手の個性が表れていれば良い」といいます。ちょっと何か描いてみましょう。
これは著作物でしょうか。恐らく足りません。いい人みたいだけど、ちょっと個性が足りない。ではこれならどうでしょう。
少し個性らしきものが出てきたかもしれません。ではこれはどうでしょう。
恐らく、これならもう十分著作物です。出来の善し悪しは全く問われません。よく「子供の落書きでも著作物」と言います。子供に失礼な言い方ですが、まあ筆者の落書きも何かの個性は現れているとみましょう。つまり、この図1~3の間のどこかで著作物の垣根を越えたのです。図1は無断転載して構いませんが、図3の無断転載は著作権侵害の可能性があります。
過去の裁判では、雑誌の最終回挨拶で下記のものを著作物と認めたことがあります。
ある程度定型的とも思えますが、それでも書き手の個性が認められたわけですね。ですから、たとえば我々が日常書くメールも、よほど紋切型のものや短い事務連絡を除けば著作物でしょう。ブログのエントリーやFacebookの書き込みもそうです。Twitterのつぶやきも、140字もあれば資格は十分です。なにせ、31音の短歌があたるというのです。無論「お昼なう。」とかはダメです。しかし、140字あれば十分著作物にはなり得ます。ですから、人のつぶやきだけ集めて出版するなんていう企画は、無許可でやると著作権侵害の可能性があるわけです。
スマホでパチリと撮ったスナップ写真なんかも、多少でも構図やシャッターチャンスに工夫があるなら十分にあたるでしょう。つまり、私たちは日々著作物を量産しているのです。そしてそれらは、全世界で自動的に著作権を守られます。私たちは誰しも何万という著作物の権利者であって、この世は著作物であふれているのですね。
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