Windows 8が登場したときには、Microsoftはエンドユーザーに与える影響を考えないまま、大きな変更を行ってしまったように思えた。当時、誰もがタッチスクリーンを持っていたわけではないし、今後手に入れる予定があったわけでもない。Canonicalはまったく異なる道を選び、大きな変更を行うときにも、それがエンドユーザーにどのような影響を与えるかに注意を払ってきた。ほとんどのユーザーは変化を恐れるが、Ubuntuは異なるスキルセットやハードウェアプラットフォームのためにデザインされたインターフェースを作ることはしなかった。
Smart ScopesはUnityのレンズシステムに取って代わるもので、デスクトップ検索を従来よりもさらに高速で、より強力なものにする。しかし、Smart Scopesは単に1度に検索を行うためのものではない。検索結果をフィルタリングすることができ、デスクトップ以外にも100近い情報源から検索ができるのだ。これは、エンドユーザーが食いつく検索システムだ。
Richard Stallman氏の流儀を続けていれば、Linuxの世界は今でも90年代で止まったままで、計算機科学を専攻している人と開発者にしか使われていなかっただろう。筆者は「GNU」にも「FOSS」にも敬意を払っているが、「GPL」に100%準拠するソフトウェアを要求し続ければ、進化や導入を妨げ、そのやり方には問題が生じてくる。Linuxは、ずっと以前から、スーパーギークや開発者たち以外にも届けられるべきものだった。パワー、安定性、ユーザーの使いやすさを兼ね備えるようになってから、すでにかなりの時間がたつ。CanonicalとUbuntuが妥協を許さない考え方から離れることによって、Linuxは「難しさ」という束縛から本当に自由になるチャンスを得ることができる。
筆者は、CanonicalがLinuxの救世主になると宣言しているわけではない。Canonical(またはUbuntu)が完璧だと言っているわけでもない。Canonicalは、トップに上り詰めるために若干黒魔術に類するものを使っている。しかし、そのゴールは賞賛すべきだし、達成すべきものだ。Linuxは大きな成功に近づいており、Canonicalがこの挑戦を続けていけば、成功は十分に可能だと筆者は考えている。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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