カリフォルニア州サンタクルーズマウンテンズ発--Appleの歴史として一般的に語られている話では、Steve Jobs氏とSteve Wozniak氏が創業したばかりの会社を、雲を突き抜けるほど急激な成長と財政的な成功に向けて発進させたのは、2人が作った2つ目のコンピュータ「Apple II」だったということになっている。ビジネスソフトウェアやゲーム、芸術向けのツール(ほかにもたくさんある)を1台で使えるプラットフォームとしてApple IIが成功を収めたことは、後の初代「Mac」の発売や、さらに後の「OS X」や「iOS」端末のための下地となった。
多くの人が忘れていることがある(あるいは知らない可能性もある)。1977年4月にApple IIが第1回West Coast Computer Faireで発表されたとき、同機にはディスクドライブが搭載されていないという今考えれば明らかな欠点があった。
30年以上保管された後に先般公になった35年前の資料のおかげで、Appleがそうした障害を乗り越えて、同社の最初のDOSを作ろうとした経緯が正確に分かった。それは文字通りの意味を超えた、Appleの立ち上げをめぐるこれまで語られなかった物語だ。米CNETは、契約書(Wozniak氏とJobs氏が署名している)から、設計仕様書、何ページにも渡る回路図やプログラムまで、こうした資料の山を詳しく調べる機会を得た。カリフォルニア州サンタクルーズマウンテンズにあるDigiBarnコンピュータ博物館に所蔵されているこれらの資料は、Appleの創業期に重要かつ新たな光を当てるものだ。
その資料が明らかにしているのは、Jobs氏の強引さに後押しされ、Wozniak氏の技術ビジョンに刺激を受けた開発プロセスであるが、両氏が外部の助けに頼っていたことも表されている。そしてそのプロセスは、Appleの歴史上最も重要なプロジェクトの1つのためのものだった。今にして思えば、このプロジェクトがなければ、幅広いユーザー向けに本格的なコンピュータを販売するというAppleの野心は成功の寸前で崩れ去っていたかもしれない。
(1977年当時にしては)プロフェッショナル向けらしく見える射出成形のケースと、Jobs氏の完全主義に合致するデザイン美学を備えたApple IIは、当時としては画期的な製品だった。しかしApple IIは、まるでキットのようであった先行機種「Apple I」よりは数年分進歩してはいたものの、まだカセットドライブしかなかった。
DigiBarnの創設者のBruce Damer氏は次のように振り返る。「Appleは窮地に陥っていた。カセットでは(何かを読み込むのに)延々と待たなければならなかった上に、信頼性も低かった。そのプロセスは成り行き任せだった。そんなものを土台にして会社を築こうとするなど考えられるだろうか」
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