NSFは1985年に関与を深め、このことが、学術機関によるインターネットアクセスの主要なバックボーンとなったNSFNETの設計および実装と、その後の拡大につながりました。NSFは多くの中間レベル地域ネットワークの支援も行いました。1986年までに、CiscoやProteonなどのルータ企業は学術機関や軍隊、さらに米政府の支援を受けたネットワーキングユーザーへの販売を開始していました。1989年までに、UUNETとPSINET、およびCERFNETの商用インターネットサービスプロバイダー(ISP)3社が事業を開始していました。
1992年までに、バウチャー法によって、政府が支援するバックボーン(特にNSFNET。ARPANETは1990年に終了)上で商用トラフィックを送信することが認められました。これとほぼ同時期ですが、Tim Berners-Lee氏が欧州原子核研究機構(CERN)で1989年~1991年にWorld Wide Web(WWW)プロトコルを開発したことが、米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA)のMarc Andreesen氏とEric Bina氏の注意を引き、グラフィカルな「MOSAIC」ブラウザの開発につながりました。そして、同ブラウザは、Jim Clark氏(Silicon Graphicsの創設者)がAndreesen氏とともにNetscape Communicationsを創設するきっかけになりました。
NSFは1995年にNSFNETを終了しましたが、商用ネットワークと学術および政府ネットワークの接続性を保証するためにNetwork Access Pointに資金を提供し、その後、MCIが構築、運用する「vBNSNET」と呼ばれる新しい高速研究ネットワークを支援しました。それは、学術コンソーシアムのInternet2が開発した「Abilene」ネットワークに接続されました。
ARPAやNSF、DOE、NASAなどを含む米政府は、間違いなくインターネットの発展を促進し、支持し、道を切り開いてきました。民間部門は同プログラム(1984年~1995年頃)に約12年間関与し、同システムの普及促進に非常に深く関わりました。しかし、こうした研究への援助がなければ、何一つ実現しなかったでしょう。
--政府の働きが不十分だった分野はありますか。
Cerf氏:米政府に責められるところがあるとしたら、それは政府のさまざまな部門、つまり米国立標準技術研究所(NIST)やDoDの米国防情報システム局(DISA)(当時は国防通信局(DCA))が、インターネットのTCP/IPが完成、標準化、および実用化されようとしていた1978年、欧州で開始された開放型システム間相互接続(OSI)システムを支持して、インターネットを見捨てたからです。約15年間(1978年~1993年)にわたって、TCP/IPとOSIの間で標準をめぐる激しい戦いが繰り広げられ、ARPAとNSF、NASA、DOEはTCP/IPプロトコルの開発に首尾よく投資しましたが、その後、米政府のいくつかの部門(NISTとDCA/DISA)はOSIを支持しました。最終的に、NISTは1992年、Internet SocietyからTCP/IPとOSIを評価するように依頼され、その1年後にNISTのブルーリボン委員会は、TCPとOSI TPプロトコルがいずれも米政府の用途に同じくらい適しているという合意に達しました。それは、インターネットの急速な普及につながりました(OSIの実装範囲が限定的だったことを考えると、どのみちそうなっていた可能性が高いでしょう)。
--Crovitz氏はこのブロガーからの引用文(1999年に書かれたもの)についても、肯定的に書いています。「実際のところインターネットとは、大きな政府に対する基本的な自由市場の批判を再び肯定するものです。政府は30年間にわたって、情報を転送するための極めて便利なプロトコルであるTCP/IPを有していましたが、それは放置されてしまいました。10年もしないうちに、民間企業がそのプロトコルを採用し、この1000年間で最も重要なテクノロジ革命の1つを作り出しました」(引用文)。TCP/IPプロトコルを開発したのはあなたなので、私はあなたがどんな反応をするのか知りたいです。
Cerf氏:Crovitz氏の言うことなど、トマトの肥やしにしてしまいましょう。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」