最初はわずか数十語で書かれた2つの投稿だけだった。「世界よ、こんにちは」と「皆さんにお願いがある。そこに行って簡単な記事を追加してほしい。ものの5〜10分で終わるから」だ。
Larry Sanger氏とJimmy Wales氏が2001年1月15日に書いたこの4つの文によって、インターネットはもちろん、史上最も広く利用され、最も重要な百科事典プロジェクトの1つWikipediaが始まった。
Wikipediaは15日に開設10周年を迎えた。当初は小規模なユーザー生成型プロジェクトで、専門家が記事を執筆するオンライン百科事典「Nupedia」を立ち上げた2人の無名の人物によって創設されたWikipediaが、270以上の言語で書かれた1700万以上の記事を含むプロジェクト(英語の記事数は約350万で、それ以外の32カ国語でもそれぞれ10万以上の記事がある)に成長したのは信じがたいことだ。しかし、Nupediaを軌道に乗せるのに苦労した経験を持つSanger氏とWales氏は、Wikiという新しいウェブ編集および作成ツールに価値を見出し、Wikiを採用することに決めた。
それから長い年月が過ぎた今、Pew Internetの調査によると、Wikipediaは1カ月に4億1000万人のユニークユーザーがアクセスする世界第5位の人気を誇るウェブサイトに成長しており、米国成人の42%が利用しているという。そして、Wikipediaを監督する非営利団体Wikimedia Foundationで現在理事を務めているWales氏は、少なくともテクノロジ分野では誰もが知っている有名人になった。
Wikipediaがその成長の過程で経験してきた浮き沈みは決して少なくない。Sanger氏が2002年にWikipediaを去った後に同氏が創設者の1人なのかどうかをめぐって同氏とWales氏が公然と言い争ったことや、Robert Kennedy氏の元補佐官John Seigenthaler氏についての記事に、Seigenthaler氏がKennedy兄弟の暗殺に関与していたとする根拠のない記述があり有名になった「Seigenthaler事件」など、論争の的になることも多かった。
また、Wikimedia理事会におけるWales氏の役割や、Wikipediaは真の研究ツールなのかという問題、本来第一に引用すべき資料を探すのを面倒くさがる学生や、その資料を見つけられない学生の怠け癖を助長するのかという問題など、驚きが尽きることもない。
しかし、Wikipediaの最初の10年間に関する物語で大半を占めているのは、着実に成長していることや、地位が向上したこと、これまでのユーザー生成型プロジェクトの中でも特に印象的なものという立場を確立したことだ。
「The Wikipedia Revolution」の著者であるAndrew Lih氏が、Wikipediaを研究すると決断したのは、同プロジェクトが「スイートスポット」を捉え、Lih氏が「人間の知識とニュースや歴史書の間にあるギャップ」と呼ぶものに対処していることに同氏が気づいたからだった。
Wikipediaによって、Wales氏とSanger氏、そして両氏からインスピレーションを受けた多くの執筆者と編集者からなるコミュニティーは、そのギャップの解消に取り組み、「絶えず更新され、変化する人間の知識、すなわち生命を宿したアーカイブを、正にわれわれの目の前に作り出した」とLih氏は続ける。
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