2010年10月15日、日本オラクルは創立25周年を迎えた。
1977年6月にLarry Erison氏らが創業したOracle(創業時の社名は、Software Development Laboratories)の日本法人として事業を開始した当初は、データベースのベンチャー企業との位置づけだったが、Digital Equipment(DEC)のRDB部門のほか、PeopleSoft、Siebel、BEA Systemsなど、米Oracleによる65社以上の買収により事業を拡大。2009年のSun Microsystemsの買収によって、ソフトウェアのみならず、ハードウェアビジネスにも進出を果たし、業界屈指の総合IT企業へと成長した。
同社が2009年9月に発表した「Oracle Database 11g R2」は、創業製品の流れを受け継ぐものであり、実に2年ぶりの新製品投入となった。その時、代表執行役社長兼最高経営責任者の遠藤隆雄氏は、「オラクル製品の価値が顧客に伝わっていないという反省がある。自信を持って送り込むこの製品によって、製品価値を正しく伝えることに、もう一度取り組む必要がある」と語った。
事業を拡大する一方で、原点となる製品において確固たる地位を確保することにもこだわりをみせる。旧バージョンから最新バージョンへの移行が大きな課題となっているからだ。あるジャンルで大きなシェアを取った製品、特にソフトウェアの分野では、「最新版の競合製品は旧バージョン」といった状況が起こるが、まさにOracle Databaseは、そうした課題に直面するほどに成熟した製品になったというわけだ。
数々の買収によって、日本オラクルの位置づけは変化を続けている。
競合関係にあった企業が協業関係になったり、その逆に、協業していたはずの企業が競合関係に転じるという場合もある。
1998年に日本オラクルが同社本社内に開設した「オラクルNTソリューションセンター」は、日本オラクルがサーバ版Windowsとして売り出された「Windows NT」事業に力を注いでいく姿勢を明らかにした施設だった。データベース分野での競合関係にある両社が、Windows NTの普及では協業する体制を取り、そこで日本オラクルが果たした役割も大きかった。
しかし、Sunの買収により、今後Solarisにも力を注ぐことになる日本オラクルにとって、マイクロソフトとの関係はさらに複雑なものになる。同様に、これまで協業関係にあったハードメーカーとの関係も、やはり複雑なものになったと言わざるを得ないだろう。
日本オラクルは、日本に進出した外資系企業のなかでもユニークな存在だといえる。なかでも、1999年の店頭市場への登録、2000年の東証一部上場は特筆できるものだ。
当時、社長を務めていた佐野力氏は、「日本に根ざした会社になりたい」とその理由を語り、日本の上場企業として、経営の透明性を高めることを目指してきた。本社からのコントロールを優先し、上場にはいい顔をしないというのが多くの外資系IT企業の基本的な姿勢。結果として、日本法人の売上高や利益は公開されないケースが多い。だが日本オラクルは、日本の企業としての存在にこだわり、上場に踏み切った。
それどころか、日本オラクルが発端となりグローバル展開されている取り組みも少なくない。
技術者の認定資格制度である「ORACLE MASTER」は、日本のデータベース技術者認定制度として開始したものを米Oracleが採用し、グローバルで展開したものだ。さらに、毎年米国サンフランシスコで開催されているプライベートイベント「Oracle OpenWorld」も、最初に開催されたのは日本だった。こうした例は日本に法人を置く多くの外資系IT企業の中でも珍しいと言っていいだろう。
また、社員犬制度も日本独自の取り組みとして1991年に開始したものだ。現在、ウェンディ、ハイディに続き、3代目となるキャンディが社員犬として勤務している。
日本オラクルでは、25周年を記念して同社の歴史を刻んだ壁画「Oracle Japan History Wall 〜Celebrating the 25th Anniversary〜」を同社本社内に設置した。前面のガラスに日本オラクルの歴史、後面パネルには米Oracleの製品を中心とした技術革新の歴史を掲げている。青山の同社を訪れた際には、一度、この壁画を見てみることをおすすめする。日本オラクルの歴史を知ることで、日本のエンタープライズIT市場の変遷の一部を知ることができるはずだ。
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