インターネット誕生から40年--歴史の光と影 - (page 2)

文:Stephen Shankland(CNET News) 翻訳校正:川村インターナショナル2009年09月07日 07時30分

 それは、インターネットが、地理的な条件ではなく、興味の対象に基づくコミュニティーを可能にしたからだ。ラテン語を話す人やマクロ専門の写真家、Philip K. Dickのファン、大学のルームメートが、それぞれの仲間と連絡を取り合うことができる。こういったことは、以前からジェット機や電話、手紙によって可能になっていたが、インターネットによって日常生活の中に組み込まれ、買い物に行くのと同じくらい普通のことになった。

 さらにインターネットは、以前は声を上げることができなかった多くの人々に拡声器を与えた。その最近の例が、イランやミャンマーの抗議活動家だ。世界の中の目が届きにくい地域で起こっていることを人々が理解し、それをよしと思うかどうか自分で判断できるようになった。

 インターネットはもちろん、単に話すこと以上のことを可能にしてきた。インターネットは、Appleの「iTunes」で楽曲を購入したり、Amazonの「Mechanical Turk」で安い労働力を雇ったり、車を組み立てるために使われる在庫のサプライチェーンを管理したりと、非常に多くの商取引の原動力となっている。

 インターネットの初期には、利益目的のインターネット利用の出現に反対があったが、学術界から離れて変化を遂げたことは、インターネットの最大の財産の1つだ。経済的な結びつきは強力であり、また持続的であることが多い。企業は、使用しているインフラストラクチャが作動し続けるようにするためには、現実の出費もいとわないものだ。

テクノロジの大傑作

 インターネット自体は、気の遠くなるほど複雑なテクノロジの重ね合わせで、光ケーブルで写真を送ることから、動的に作成される地図上で友人がどこにいるかを示すことまで、あらゆるレベルに広がっている。しかし、その40年間の歴史の前半では、人に知られることがほとんどなかった。

 初期に関係していたのは比較的少数のコンピュータだけで、互いにデータ送信を行う距離を徐々に伸ばしていった。1970年代には、TCP/IPという重要な技術革新がもたらされた。これは、データをパケットに分け、多数のネットワークデバイス間で転送し、インターネットの反対側で元の形に組み立て直す方法を統制するものだ。

 1980年代には、電子メールがインターネットのキラーアプリケーションとして本格的に開花し始めた。そして1990年代にWWWが登場した。こうした技術革新によって、インターネットは学術界からメインストリームへと躍り出た。人気の爆発は、インターネットへのアクセスや装置、サービスを販売する企業の登場、そして最初のドットコムバブルへとつながった。

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