ITバブルが崩壊した直後の2002年。後発かつ逆風の中での船出と分かっていながらも、「自分のやりたいことをやっていきたい」との思いに押されて起業したシリウステクノロジーズの宮澤弦氏。
位置情報をベースに最適な広告を配信するサービス「AdLocal(アドローカル)」で知られる同社だが、宮澤氏はその落ち着いた雰囲気から、IT業界で“若年寄”としても知られている。
腰が低く、若年寄と呼ばれる宮澤氏は、どのようにして世界を視野に入れた最先端のIT関連サービスを生み出してきたのか。その強さの秘密に迫ります。
※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。
僕は1982年に札幌で生まれ、18歳まで札幌で育ちました。4人家族なのですが、僕以外は両親も姉もピアニストかピアノ教師というとても変わった家庭で幼少期を過しました。
親としてはピアニストになってもらいたかったのでしょうね。3歳からピアノをやっていましたが、ピアノは一発勝負ですし、人前で弾くということにはとても緊張し、コンクールで出場しても思ったように弾けなかったんです。ピアノの英才教育も受けていましたが、全く才能がなかったんですね。
幸い、学校のテストの点数は良かったので、ピアノをやめて勉学の道に進もうと決めたのが10歳の頃でした。
小学校4年の後半には辞めているのですが、それまでは学校から帰ってくるとずっとピアノづけでしたね。
父の運営する音楽学校と自宅が併設されていたので、建物中から音楽が聞こえてきました。ピアノが20台以上ある環境でしたから、大学受験の時は集中できなくて悲惨でしたけどね(笑)
ピアニストの子供として生まれ、3歳から続けていたピアノをやめたので、親には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。
中学校からは札幌市内の私立北嶺中・高等学校という男子校に進学しました。札幌市は広いんですよ。温泉で有名な定山渓も市内ですし、この北嶺という学校も札幌市に属しながら、隣でクロスカントリーのワールドカップが開催される程の山中にあるんです。グラウンドで蛇に手を噛まれたということで全国的なニュースになったり、学園祭の時にゴミ箱を狐が荒らさないように狐係がいたりと、大自然に囲まれた環境でした。
いえ、そんなこともなかったですよ。男子ばかりで山の中ですから、非常に活発でした。
学校の裏山にスコップで穴掘って秘密基地をつくったり(その後先生に見つかってひどく怒られて埋めましたが)、雪の積もった崖の上からみんなでソリで滑って遊んだり。持て余したエネルギーをすべて大自然にぶつけていましたね。雪が積もると校舎の2階からジャンプとかもしていました。
こうしたことを、みんなを集めてやるのが好きでしたね。。。
小学校の後半にはAppleが家にありましたし、中学の頃からは周りはポケベルやPHSを持ち始めてましたよね。中学3年の頃にアメリカにホームステイをした頃には、あちらの学生に普通にメールアドレスの交換を求められましたから、インターネットも一般に普及してきた時代ですよね。僕は当時まだ個人のメールアドレスを持っていなかったので、アメリカは随分進んでいるんだなぁ、と思ったものです。
ヨーロッパに行く機会が多かったですね。クラシックが盛んなオーストリア、ドイツ、フランス、はたまたチェコやユーゴスラビアなど東欧にも結構行きました。行く国は、クラシックが盛んかどうかで決められてましたので。
まだ小さかったので、ちょっと苦痛だった印象がありますね。
芸術を巡る旅なので、親は演奏会やオペラ・美術館に喜んで行きますが、僕は咳払いも緊張する程じっとしていないといけないじゃないですか(笑)。子供が美術館でじっとしているのは厳しいですよね。
僕は東京で色々な方々にお会いしていますが、父ほど良い意味で個性の強い人を見たことがないですね。なかなか表現するのが難しいですが、音楽に対して極めて純粋で、心が広く、大概のことは受け止めてくれる人です。
逆に母親は父親の補整役でして、ちゃんとした人です。
姉は僕と違って真面目にピアノを続けまして、今はプロのピアニストとして活動しています。名前を「むじか」と言うのですが、ラテン語でMusic(音楽)はムジカと発音しますから、海外ではとても覚え易い名前です。日本で付けた名前としてはかなり珍しいと思いますが、父が親族の猛反対を押し切ってつけました(笑)
ちなみに、僕の弦という名前は、弦楽器からきています。残念ながら、僕は弦楽器を弾けませんが、姉のように変わった名前にされなくて良かったです(笑)
そこが、僕の人生観にとって非常に大きく影響していますね。父は型破りだけど、いつも人生の本質を語ってくれました。それは、「自分が楽しめることを全力でやり、天職だと思って死ぬまで楽しみ続ける」ということ。社会的に役立つことであれば、やっている本人が楽しいと思う事を全力でやるということがむしろ重要だと常々言われていました。もちろん、今は会社としてやっていますので、楽しいだけではなくきちんと利益を生み出す事業を作っていかなくてはなりませんが、その過程を楽しんでいます。
ですから、「大学に行って就職をする」という暗黙のルールに悩んでいた時も、「果たしてこれは自分が全力を注いで夢中で楽しめることなのか?」と自ら問いかけ、その結果として、今この仕事をしているわけですね。
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