「やれば何とかなる」「大抵のことは小さなこと」――。
1997年頃からIT関連サービスの起業家活動を始め、激しい競争を生き抜き、新たなサービスを意欲的に開発し続けるECナビ社長の宇佐美進典氏は、どこか達観した部分を垣間見せます。その一方で、「遊びは真剣に、仕事は遊び心で」との柔軟さも忘れません。
悩んだり弱気な態度は見せず、いつも楽しげ。その反面、社内外ともにバランス感覚に優れ、大抵のことには順応してしまう。そんな“宇佐美流の仕事術”の極意は何か――。
そのヒントは、学生結婚を決意した日のある心境の変化にあるようです。
※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。
僕は地図で見ると名古屋の右上にある三好町で生まれ、大学で東京に出てくる前まではここに住んでいました。その当時は田園風景が広がっていて、のんびりした環境でしたね。小学校時代はバスケ、中学に入ってからはサッカーに熱中していました。
そんなコミュニティあるんですか?そうなんです。東海中高でサッカー部に所属していました。その一方でゲームも好きでしたね。とはいえ、ゲーム機ではなくて、何故だか「PC8801-FR」というパソコンで遊んでいました。当時、レンタルゲームソフト屋さんが結構あって、あれは重宝しましたね。
ただPCにどっぷりではありませんでしたね。なんとなく、自分には自分でPCを駆使してプログラムすることには才能がないという感覚があったような気がします。
名古屋は僕にとって、とても過ごしやすい街でした。だからこそそんな居心地の良い場所を抜け出て、新たな環境でやってみたいという気持ちは強かったですね。
1年間浪人をして、下手な鉄砲数撃てばあたるという考えで、関西と関東の大学を受けました。早稲田大学は法学部、政治経済、商学部、社会学部を受験して、ひとつだけ受かった商学部に入ることになりました。
テニスサークルに入りました。
大学に入ったらテニスサークルに入らないといけないんじゃないかと(笑)。92年ですからバブルの残り香がまだあった頃ですしね。
妻も名古屋出身で、浪人時代に出会いました。妻も同じ大学です。すぐにサークルは辞めて、大学1年の9月に結婚をしました。
子供を授かりまして。子供は天からの授かり物といいますからね。
かなりアルバイトをやりました。バーの店員に事務や弁当売り。医学ボランティアで我が身を実験台にして、世のため人のために試薬を飲んだりとかも。あとは引っ越しなんかもやりました。一方で、大学2年から3年にかけては、会計の勉強もしていました。
僕は成績があまりよくなくて、「ゼミなしっ子」だったんですよ。学生の約9割方はゼミに入れるんですけどね。他の学生との会話で「お前何ゼミ?」「俺、ゼミなしっ子」と答えると会話が続かないんですよ(笑)。
大学1年で結婚をした時に、「自分は他の学生と同じような人生は送れない」「大企業に入ってそこで出世を目指すような生き方は無理だろう」という思いを強く感じたんです。ですから、「自分で自分の人生を切り拓いていこう」と。
とはいえ、卒業してすぐにベンチャー企業を興したり、学生の間に起業したりするビジネスプランもない。そう考えた時に、いずれ事業を起こすのに一番近い業界として、経営コンサルタントを目指すことに決めました。「経営コンサルタントになるために今できることは会計だ」という思いで勉強していましたね。
大学3年の終わりになると、就職情報誌が送られてきますよね。その中で、コンサルティング業界をチェックすると、募集要項に「会計士であること」という明確な記載はありませんでした。「もしかして必要ない!?」と気づきまして、勉強はやめてしまいました。
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