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自由な対話を目的とするユニークな非公開カンファレンス「The Lobby」 - (page 3)

文:David Hornik 翻訳校正:アークコミュニケーションズ、平本尚美、國分真人2007年11月22日 08時00分
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 「The Lobby」についてもう少し書きたい。ただしそれはすべて、このカンファレンスに関する私自身の考え方を覆さずに言えることばかりだ。「The Lobby」は当初から、メディアの未来についてオフレコで語り合うという触れ込みで開催されたイベントだった。出席者は、他の出席者が話す内容をいっさい公表しないという条件を了承した上で、このカンファレンスへの参加登録をした。これは私の見解によるものだ。つまり、このイベントでの討論や対話は外部に伝わらないということですべての参加者が安心できれば、皆が思う存分に発言し、それによって得られる成果も大きくなるはずだと思ったのである。私は、この持論が正しいと今でも信じているが、反面、今日のような情報時代に「オフレコ」などというものが成り立つと想定するのは、はたしてどの程度現実的なのか疑わしい気もする。情報というものは、その出所が明らかであろうとなかろうと、いとも簡単に広まってしまう。そんな中で何が「オフレコ」と見なされるのだろう。たとえば、「The Lobby」で聞いた発言を特定の誰かに伝えたとしても、その発言の主を明かさなければオフレコなのか。コミュニケーションサイト「Twitter」で仲間たちに、「The Lobbyでの座談会は最高だった」とか「解決の糸口を100ドルで売るよ」などというコメントを流すのはオフレコなのか。「The Lobby」の人々の写真をFlickrやPhotobucketに投稿してもオフレコなのか。その写真に撮られている参加者の写りがよくない場合はどうだろう。また、自分が「The Lobby」に出席していたことだけを部外者に漏らすのは、そのときに食べた料理以外のことに触れなければオフレコだろうか。答えはまだ分からない。ともかく、私が意図したのは対話の内容をオフレコにするということだった。発言者を明かすか匿名にするか、正式なカンファレンスのセッション中の談話なのか、バーでの談話なのか、誰に対してオフレコにするのか(ほんの数人か、それとも不特定多数か)の区別はない。「The Lobby」に掲げた私のスローガンは、「コンテンツは対話」である。オフレコという方針は、秘密結社を作るためではなく、討論が忌憚なく行われるようにするためだったのだ。しかし、オフレコとは何かを定義するのは難しい。この問題は、「The Lobby 2」の開催に向けてじっくりと検討してゆくつもりだ。それまでの間は、引き続きデジタルメディアの急速な進化に携わるのを楽しみに待ちながら、その進化の一端を「The Lobby」が担っていることを祈りたい。

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