楽天を陰で支えた“アニキ”が語る、「強い組織構築術」の真髄(第2回:吉田敬)

 国内最大規模のEC市場となる「楽天市場」を運営する楽天。その後、ポータル(玄関)、金融、球団運営にまで事業範囲を拡大し、日本を代表するネット企業に成長した。

 球団買収やTBSとの経営統合問題などで、創業者の三木谷浩史会長兼社長は時の人となったが、同社の成長を陰で支え続けてきた、忘れてはならない重要な人物が存在する。2007年に同社を退職し、新たに投資業務などを行うピー・アンド・エーを立ち上げた吉田敬氏だ。

 体育会系の雰囲気と理系のプラグラマーとしての両面を持ち合わせ、今でも楽天時代の後輩・部下からアニキ分として慕われている。

 その魅力の源泉はどこにあるのか──。

 第2回目となる本企画では、部下に自信を持たせつつ絶大な信頼も得ることで吉田氏が実現してきた「強い組織構築術」の真髄に迫ります。

※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。

寝ても覚めても陸上競技

--まずは原点を探るべく幼少時代のお話から・・・どんな子供でした?

吉田敬氏 吉田敬(よしだ・たかし)氏:1992年リクルート入社。1999年11月に楽天入社。営業本部長、開発本部長、楽天野球団社長、ポータル・メディア事業カンパニー社長など、楽天の成長の節目となる数々の事業を手がけ、2007年3月同社退社。現在、ピー・アンド・エー代表取締役社長。

 子供の頃は体が弱かったんです。4歳で腎炎を患って、小学校1、2年はほとんど学校に行けなかったし、中学2年までは部活動を禁止されていました。プールなんてもちろんダメ。でもスポーツ観戦ならできるから、当時は中日ドラゴンズに夢中でした。

 ですから、当時の僕は勉強ができるというようなことよりも、足が速いというような運動能力の高さに人としての価値があると考えていましたね。

--ようやく部活動が出来る程に回復し、高校時代に選んだスポーツが陸上競技。そこにはどのような思いがあったのでしょうか?

 

 部活をやっていなかった頃も、授業で陸上の長距離が速かったんです。それで部活動の禁止がとけた瞬間に入部したのは陸上競技部。でも気づいたら100メートルとか400メートルなどの短距離をやっていました(笑)

 途中から始めた割には好成績を残せた中学時代と比べて、高校に入ると、周りがどんどん速くなる中で、どう成果を残すべきかについて悩みました。

 そのような中、「十種競技」という10種類の競技を2日で行い、合計点を競う種目があり、大学生になるとそれにチャレンジできることを知りました。「これは練習時間の豊富にとれる暇人が有利だ」と勝手に思い、文系の大学を目指し、大学時代は寝ても覚めても陸上競技に日々7、8時間費やしていました。

 僕、こう見えても関東インカレで入賞してるんですよ。

--十種競技をやったことがビジネスに影響をもたらしているという認識はありますか?

 そうですね。十種競技には、短距離、跳躍競技、投てき競技はもちろん、最後には1500メートル走まで入っています。どの競技もはじめは出来ないけど、3カ月もすれば出来るようになりました。

 そうすると「こんな自分でもやれば出来る」。そもそも「出来ないことってないんじゃないか」と思うようになってきたんです。それはビジネスの世界に入っても同じでした。営業でも開発でも、「やれば出来る」という思いは強かったですね。

「ビジネスは面白い!」

--大学卒業後になぜ就職先にリクルートを選ばれたんですか?

 陸上部で主務を任されるようになったころの話です。主務の仕事は現役とOBの間をつなぐ役割なのですが、東大の陸上部がよそと違ったのはその規模で、実は年間の会費・寄付金収入などが600万円を越えるちょっとした小企業の規模だったんです。

 僕が担当したのは、ちょうど元号が昭和から平成に変わるころだったんですが、仕組みがうまくまわっていないなぁ、もっと年間収入を増やして現役部員への遠征や合宿の補助に充てることができるんじゃないのかなぁと考えていました。

 そこで、1000人を越える諸先輩方からいかに気持ちよく会費や寄付金をいただくかということを考えて、片っぱしから改善活動をしていきました。

 たとえば、「部便り」という会報誌をOBへ送付するための宛名書き、これはずっと、一年生20人が手分けして1000人分を手書きしていたんですが、素人がやるものですから字が汚い、宛先が間違っているという問題が出ますよね。

 ちょうどその時に耳にしたのが、PC-98やデータベースソフトの存在でした。一部上場企業の副社長の先輩にお願いして、PCやソフト一式を寄付してもらいました。当時のお金で40万円近かったと思います。それをフル活用して住所や宛先シールや会費の管理をしてみたんです。

 また、コストを下げるために、印刷物の版下作製をワープロ内製したり「デジタルってすごい!」と感じました。更なる構想としては会報のFAXやメールによる送信による通信費の削減もあったのですが、当時はインターネットのない時代なので、さすがに時期尚早でしたね。

 そんなこんなで、年間の収入は5割増しの1000万円に到達。もちろん営利企業ではありませんが、これを会社経営に当てはめると、いかに収入をあげ、いかにコストをセーブするか、という事になるわけで、「ビジネスは面白い。いつかは自分でやってみたい」と思うようになりました。

 リクルートを選んだ理由は「デジタル技術を使い、個人が情報発信を通じて、事業を運営できる世の中を作れそう」だし「優秀な社員は皆、独立を前提として入社している」という当時としては極めてまれな会社だったからです。

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