楽天を陰で支えた“アニキ”が語る、「強い組織構築術」の真髄(第2回:吉田敬) - (page 2)

 また、特に地べたな「営業」のスキルを体得したかったというのもあります。金融・マーケティング・システムを勉強した後、40代になって初めて営業をやろうとしてもプライドが邪魔するだけでしょう?だから最初に一番キツい営業をやっておいた方が後々役立つだろうということで営業だったわけです。実際、営業はすごいキツかった。でもリクルート在籍中、目標を外したことは一度たりともないですよ。

ITを考えつつ、コンテンツを考える

--リクルート時代についてもう少し詳しく聞かせて下さい。主に営業が中心だったんですか。

 最初は飛び込み営業でしたよ。ビルに入っている企業を上から下まで営業して回る「ビル倒し」もやりました。

 僕の所属していたファックスネットワーク事業部(現ネクスウェイ)は、広告をファックスでクライアントに配信するという仕事で、情報通信とコンテンツの両方を考えなければなりませんでした。ここで「ITを考えつつ、コンテンツを考える」という癖がつきましたね。

 インターネットはその仕事の延長線にありましたから、この事業部出身で独立してベンチャー企業を立ち上げた人は多いんですよ。

--リクルートを辞めた後、「ECへの興味」と「三木谷浩史社長の魅力」が楽天への転職のきっかけというお話を耳にしましたが、それがすべてだったのでしょうか?それとも他に何か「思い」があったのでは?

 1998年の話ですが、ひとつは、大会社よりもっとスピード感のあるところに行きたいという気持ち。もう一つが、リクルートで果たせなかった「ヤフーに勝てる可能性のある日本発のサービスを作ることができるところに行きたい」という思いでした。

 楽天にはリクルートにいた頃から、提携の話などでお邪魔していましたし、転職先の候補ではありました。でも三木谷さんと知り合いだから入ったってだけなのも癪(しゃく)だったので、転職活動中は、求人をしていない会社も含めて7社のIT系企業の社長に会いに行きましたね。その上で納得して、楽天に決めました。

--開発部として入社されたわけですが、その頃のご自身の売りは何だったのでしょうか?

 自分自身の強みはプログラミングもビジネスもわかるという知識の上で、サービスをプロデュースする事だと思っていました。でも、中に入ってみるとサービスのプロデュース以外にも、サービスの運営(営業やCS)や会社の運営(人事や管理)もベンチャー企業は穴だらけ。

 僕らリクルートの文化は「言いだしっぺがやる!」ですし、三木谷さんもそれは期待していそうだなと感じたので、結局は開発部の一エンジニアをやりながらマーケティングもやる、営業もやる、CSも見るという事になっていきましたけど。

「社員のやる気」を引き出す秘訣

--今の話にもあった「組織」について。5人のベンチャー企業だった楽天はその後、会社規模を拡大していきすが、社員の増加は時にさまざまな問題を起こしますよね。組織に関してはどのように考え、取り組んで行かれたのでしょうか?

 組織論を参考書で勉強したという事はないですね。

 企業は3人から10人、10人から30人へ拡大するにあたり、大きな壁にぶち当たるとよく言われますが、ある程度の規模までは社長の力量によるところが大きいでしょう。

 しかし、さすがに100人体制になると組織として対応することを考えなくてはなりませんでした。そこで参考にしたのが、かつて自分が所属していたリクルートのファックスネットワーク事業部の組織編成です。だから楽天市場を担当していた頃の組織は、ファックスネットワーク事業部の1992年から1995年の編成とほとんど一緒です。

 ある時点から既存サポートと新規営業に分けたのも同じ。そののち業種別に分けてお客様サポートと問い合わせ履歴を残すようにしたのも同じです。「ファックス」が「ウェブ」というメディアに変わっただけで、お客様への対応も売り方も変わらないんですよ。組織も同じだと思いました。

--少数のベンチャーからコミュニケーション不足になりがちな巨大な組織に成長していく中で、「社員のやる気」に関してはどうでしたか?何か具体的な解決策を講じたのですか?

 それについては凄く悩みましたよ。コミュニケーションには多くの時間を割きましたし。「社長からのダイレクションをそのまま伝える」のと、「ダイレクションを実行することで社員がどのようにハッピーなるのかを伝える」のとでは、結論は同じでも伝わり方が180度違いますよね。

 もちろん、100人が100人同調してくれるとは思いませんが、そのうちの10人が同調してくれれば、それだけでも強い組織のベースが築ける。社員を兵隊と呼ぶ文化もありますが、「上司」と「部下」という関係以前に1人の人間ですから、まずはその人に興味を持たない事には何事もうまく行かないというのが僕の信念です。

 とにかく、後輩や部下たちと飲みに行きました。当然、お金もそれなりに使いましたが、楽天は福利厚生費がなかったから、かなり自腹を切りました。リクルートの退職金が結構あったのですが、みるみる減っていきました(涙)。自分が経営に加わりエッセンスを注入することで、当時は1000億円強に低迷していた時価総額を必ず大きく向上させられると信じての先行投資です。

画像の説明 「何でも屋だった」と語る吉田氏の楽天時代の名刺たち

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