確かに芸術性ではなく、目的性が明確になればなるほど、クリエーターというよりは職人といったカテゴリがより妥当という印象が強まる。しかし現実には、例えばユーザーインターフェースデザインといったような、機能性をデザインする「クリエーター」も非常に重要視されている。
そんな、うがったウケ狙いというよりも緻密な計算を前提とした、需要と供給のバランスの中で活躍するクリエーター層が着実に増えつつある印象を、今回のイベントで感じた。
ここ数年、政府主導でコンテンツという領域へのさまざまな支援がなされてきた。資本調達スキームの多様化、エンターテインメント契約を支援する法律家の育成とその活動基盤の整備、下請け環境に甘んじざるを得ない制作会社の地位の改善、企画から契約までのすべてのプロセスでキーとなるプロデューサー人材の育成など、ピンポイントで押さえるべきところはすべて押さえつくした感があるほどだ。
しかし、ブロードバンド環境が半数の世帯に普及し、放送がアナログからデジタルへと移行し終わるときをあとたった5年後に迎えるにもかかわらず、メジャーなメディア環境は産業構造として大変革期を迎えているという感覚はない。むしろ、デジタル元年と先政権下で規定された2011年まで変化は訪れないと保証されているかのような印象すらあるほどだ。
現実には、変化は確実に起きている。YouTubeのような米国の映像投稿サイトに日本から異常なほどのトラフィックが流れているのは、ある意味、日本の映像視聴環境が異常なまでに抑圧されている反動なのかもしれず、そこで生じている動きはすでに抑えきれないほどの慣性を有するほどになってきている。それは、消費者自身が自己表現を求めるCGC(消費者生成コンテンツ、最近はUGCともいう)やその発表の場であるCGM(消費者生成メディア)が、量的に総計すれば十二分にマスメディアに匹敵するほどのボリュームサイズになっていることからもうかがえる。そして、その接触対象の多くが消費の要点を押さえている層に重なるという点で、経済的なインパクトはボディーブローのように既存の産業構造に影響を及ぼしつつある。
だが、誰もが気がつかない振りをしている。
すでにクリエーターが、そして消費者が、新たな変化を求めて行動やメンタリティを変えつつある現在、TCM2006のようなイベントにとどまらず、より包括的な変化を誘引するような、例えば、税制や会計基準といった一種ハードな改革が求められているのではないだろうか。
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