時流に迎合しない投資と経営が成功の鍵 - (page 3)

永井美智子(編集部)、田中誠2006年09月07日 08時00分

勝屋:もう少し具体的に、つらい時期をVCと経営者がどう乗り切ってきたかという点を訊かせて下さい。聞くところによると毎週金曜日にみんなで経営会議をやっていたそうですね。

上田谷:最初の頃はお金を使って懸賞サイトやメールマガジンなどいろいろなところに広告を出したんですが、あまり効果がないと分かって、どう切り替えていくかということを毎週朝8時くらいから会って相談していました。

 その頃の僕の立ち位置はというと、株主でありながら常勤取締役の人たちと同化しちゃっていましたね。経営のモニタリングなどのセンスはなくて、当時自分が持っていたネットワークで、事業提携や人材をどうやったら引っ張ってこられるかという意識ばかりが先に立っていました。要するにベンチャーキャピタルとしては決して褒められた態度ではなかったと思います。

 でも同化しているからこそ会社の最も重要な課題や意思決定の緊急性などがリアルタイムに理解できるので、ケンコーコムの事業モデルの大きな転換点であった、広告による営業活動やめた時なども、すぐに合意できたんです。 ちなみに後藤さんはたまにものすごく頑固に主張することがあって、その時はグーグル対策の話ばかりするようになったんですよ。結局、その考えを会社の戦略とし、広告をすぱっとやめて、検索エンジン対策一本に事実上切り替えたわけです。

後藤:それが2001年の春くらいですね。資金を食いつぶしているのは自分でも分かっていて、いろんな取り組みをするけどそれぞれがうまくいかない。とにかくどうやったら人を集めて商品が売れるような会社にできるかということを、ずっと試行錯誤していた時期でした。

 その中で、上田谷さんは同化していたとおっしゃいましたが、それはありがたいことでもありましたね。僕らとしては、うまくいってない状況をきちんと説明するべきだと思ったんです。お金がなくなったということだけでなく、なぜなくなって、どういう風に得られたものがあったのかということは共有しておかないと発展性がないと考えました。

 だから、毎週金曜日の会議は、「お金がなくなりました」という報告と(笑)、なぜなくなったか、その結果、何が分かったかという話をしていました。普通のVCであれば、そこで厳しいことを言うんでしょうね。でも、上田谷さんは楽天的に、「その結果が得られて良かったじゃないですか。これくらいの傷で済んで良かったですね。じゃあ次はどうしましょうか」と言ってくれたんです。

 こちらとしてもうまくいってないことは言われなくても分かっているわけですし、かなり気が滅入る状態ですから、こちらが非難されてもおかしくない状況でむしろ励ましてくれたり、希望があるという話をしてくれたりしたのはありがたかったですね。

勝屋:精神的な支えになってくれたわけですね。

後藤:そうですね。それに、そこで非難されたらこちらからも悪い情報は出さなくなったと思うんですよ。でも、ありのままさらけ出しても、良いところは良いと言ってくれたし、悪いところはやめましょうと言ってくれましたから、それは良かったですね。

上田谷:オペレーションは後藤さんが一番良く分かっているので、そこに口出ししてもしょうがないということもあったんです。ですから僕は大企業との事業提携を画策したり、知名度を上げたり、人や資金を集めることを手伝っていましたね。

勝屋:そのころの事業の状況はどうだったんですか?

後藤:2000年の間は全然うまくいかなくて、試行錯誤だったんです。ただ、2001年初頭にグーグルが日本語化されたんですね。その直後ごろ自社のアクセスログを見ていくと、突然グーグルが現れてアクセスが増えているのが分かったんです。

 もともと僕はダイレクトマーケティングをやっていたので、最初の頃からとにかくできる限り数字を把握して判断材料につかっていたので、アクセスログもずっと目を通していたんですが、そこでグーグルの存在に気づき、調べてみてこれはすごいなと思ったんです。スタンフォード大学にある資料などを見ていくと彼らの考え方が分かって、こうすれば検索エンジンから人が来るんだということも分かりました。

 それで2001年の頭からサイトの構造を見直して、それとともに商品も増やしていきました。これはロングテールの概念につながるんですが、絞り込んだ商品を扱うのではなく、幅広い商品を扱うことが重要だということにも気が付いたわけですね。

 その頃、月商÷商品数が約1万円だったんです。じゃあ、売り上げを増やそうと思えば商品数を増やせばいいんだと気付きました。実際に商品数を増やすにしたがって売り上げが伸びるという相関関係も見えてきて、これならいけるという方程式がその時にできたんです。

勝屋:その後の増資で鮫島さんが参加されるわけですね。

鮫島:私たちがお金を出す前の決算では売り上げが約2億円で支出はそれ以上あったんです。自分たちでグーグル対策もできて、商品点数と売り上げの相関関係もあることが確信できた状況で、さあこれから、という時にお金がなかったわけですよね。それで私たちが資金を出すことで、会社として何カ月間かは思ったことを自由にできるようになったということです。後で「よくあの時にお金を出してくれましたよね」なんて言われたんですが(笑)

後藤:上田谷さんからも、僕が資金調達にあまり関わり過ぎない方がいいということは何度か言われたんです。資金が非常に厳しかった時期が長かったので、それまではかなりの労力を資金調達に使っていましたからね。いろいろな企業を紹介してもらう中で、ここで鮫島さんにも資金を出してもらえれば、あと1年間は事業に専念できる。だから出してもらおうということになったんです。

ケンコーコム株式会社 代表取締役社長
後藤 玄利

1967年2月、80年の歴史を持つ地場の製薬会社の創業家に生まれる。1989年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、アンダーセンコンサルティングに入社。戦略コンサルティンググループの設立メンバーとなる。1994年5月アンダーセンコンサルティングを退社し、うすき製薬に取締役として入社 。1994年11月株式会社ヘルシーネット(現ケンコーコム株式会社)を設立。代表取締役に就任。1997年7月うすき製薬株式会社代表取締役に就任(2001年8月より取締役)。2000年5月にケンコーコムを立ち上げる。

趣味:テニス、アメリカンフットボール(観戦)

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