前回のエントリー「『信じたい心』を増幅するネットワーク」には、意外なほどの反響があった。それもトラックバックという形ではなく、直接会う人から「6人じゃあ世界はつながらなかったんですね。やっぱりって思いましたよ」といったコメントを挨拶代わりにいただき、意外に近い人がちゃんとコラムを読んでくださっていること、そして「小さな世界」神話が断片的ながら広く知られていることに改めて驚かされた次第だ。
さて、前回予告したように、今回も社会的ネットワークに関連したビジネステーマについて議論したい。具体的には前回のエントリーで取り上げたソーシャルネットワーキングサービス(SNS)や、前々回のエントリー「もうひとつのケータイ先進国を知る」で紹介した本「ケータイは世の中を変える - 携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化 - 」でも取り上げられている「ネットワーク・サービスの採用」についてだ。
消費の対象となるネットワークとは
ネットワークというとモバイルなど通信そのものズバリを思い浮かべることが多いが、実は市場では多様な財をネットワークとして取り扱うことができる。
例えば、特定の機器(ハード)と対応する消耗品やサービス(ソフト)の「対」で初めて成立する商品やサービスがある。DVDやMD、メモリカード(メディアそのものとプレイヤー/レコーダ)、ICカード(カードそのものとそれを採用したサービス)、クレジットカード(カード契約とそれを採用したサービス)、PC(インテルチップとマイクロソフトのOS、OSとそれに対応したアプリケーションソフト)、放送(受信機と放送コンテンツ)など挙げればきりがないほどだ。
これらは「ハードが普及しないとソフトの消費が始まらない。ソフトが魅力的でないとハードが普及しない」というジレンマを普及当初に抱えるものばかりだ。そのため、ハードとソフトの対応という互換性がネットワークを形成していると考えられる。
また、商品そのものが対ではなくネットワークを構成していないように見えても、利用環境によってネットワークが形成されている場合がある。比較的操作が難しい商品ではその利用を支援する友人や専門家、冷蔵庫やエアコンのように独立した耐久消費財であっても故障時などに対応してくれるサービスなどは、商品の周辺までを含めてネットワークということができるだろう。実際、販売店やアフターサービス提供拠点などは流通という視点からネットワークと呼ばれていることも多い。しかし、消費という点でもネットワークを形成していることはあまり注目されていない。
場合によっては、消費期限が極めて短い商品と冷蔵庫を有した家庭や、それらを消費するであろう特定の場所というのも、ネットワーク関係にあるとさえ言えるのだ。
このようにわれわれの生活を眺めると、非常に多くのネットワークが存在していることがわかる。しかし最初に紹介したように、「互換性」という厳密な関係で相互に規定されたネットワーク以外は極めて緩いネットワークであり、ネットワークが必須でない場合すらある。そんな緩いネットワークの場合は、ネットワークとして認識されることも少なければ、ネットワーク特有の性質があまり注目されることもなく消費されることが多いだろう。
ゼロから普及が始まるという不思議
では、あまり緩くないネットワークの特徴というと何があるのだろうか。
その代表として挙げられるのが、加入者が増えれば増えるほど加入者の便益が増すという「ネットワーク外部性」であろう。典型的に、通信サービスでは通話の相手という「対」になりうる人たちがより多く自分と同じネットワークに参加するほうが、自分にとってメリットが大きいことは想像に難くないだろう。また、参加によって得られる便益がネットワークへの初期加入コストを上回るような加入者数は「クリティカルマス(あるいは、ティッピングポイント)」と呼ばれる。これはよく知られた特徴といえるだろう。
では素朴な疑問として、通信のような緩くないネットワークの初期段階では得られる便益が加入コストを下回る(要するに損をする)にも関わらず加入者が存在し、(少なくともある程度までは)増加するのはなぜなのだろうか。
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