CNET Japanのブログで「なぜフィンランドはケータイ大国になったのか」というエントリーをしたのはもう1年近く前になる。そのエントリーのきっかけになったフィンランド社会学者のケータイ都市論「The City In Your Pocket」の翻訳が完成し、近日中に書店に並ぶことになった。日本語版は、『ケータイは世の中を変える--携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』というタイトルだ。今回はこの本にちなんだ話題から始めて、ケータイというサービスの国際比較をする意義を議論してみよう。
日本だけがケータイ先進国ではない
日本にいると、日本の製品や文化が世界のスタンダードのように感じてしまうのは致し方ないことなのかもしれない。しかし、日本特殊論などという言葉があるように、決して標準的なものは多くない。むしろ、ほとんどないのが現実だ。それでも、ケータイのように「世界でも最先端」と広く報道されていると、「そっか、他の国はもっと遅れているのね」と素直に信じ込んでしまう。
だが、現実は違うのだ。手近なアジア圏でも、それはそれは簡単に僕たちの思い込みが間違っていることを実感できる。韓国の携帯電話のカタログを見れば驚くほど多様で高度なサービスに対応した端末がたくさんある。また、香港や台湾の街角で携帯に向かっておしゃべりすることのそれはにぎやかなことを知れば、思い違いは自明となるだろう。さらに、携帯電話というサービスが開始されて以来、統計的な数値の多くでほぼずっとトップを保ってきた国があることを知れば、僕たちはいかに勘違いしていたことかを思い知ることになる。
携帯電話を最初に商業化し、国際標準を複数策定し、高い普及率を早期に確立し、世界で最もたくさんの携帯電話端末を製造するメーカーを擁する国。それがフィンランドだ。
ただ、日本の人はそもそもフィンランドという国がどんな国であるかを知ることが少ない。せいぜい北欧の国とか、ムーミンの生まれ故郷とか、そんな程度の知識しかない。ましてやその国でケータイがどんな風に使われているかなど知る由もない。それでも携帯電話サービスのほとんどが、日本と同じ程度の面積の国土に北海道と同じ程度の人口しかいないフィンランドという国で開発され、実装されたことは紛れもない事実なのである。
日本とフィンランドのケータイ事情比較
そんな「最」先端国フィンランドにおけるケータイ利用、特に個人と都市という対立する2つの要素の境界線について考察を行ったのが『ケータイは世の中を変える』だ。日本で出版されている日本のケータイ電話に関する研究と比べて、やや距離をおいた視点から書かれている。観察の対象となるハードや利用者にあまりにもフォーカスしすぎた感のある日本の書籍に比べて、観察者である著者コポマーの対象との距離感は一種の心地よさを覚える。
出版元の北大路書房が用意したこの本の説明はこうなっている:
僕は訳の一部と解説のひとつ(「ビジネスとしてのケータイ--日本で携帯電話がケータイになった理由」)を担当したのみだが、この本の全体を通して思うことがある。それは、先にフィンランドの状況を一部取り上げている「絶え間なき交信の時代--ケータイ文化の誕生」を読んだときに感じたものと同様で、サービス初期の利用者(あるいはその周辺の人たち)の反応はどの国でも非常によく似ているということだ。
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