「信じたい心」を増幅するネットワーク - (page 3)

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  こんな基本的なメカニズムで僕たちは生きており、自分自身で立証できない「理論」や「法則」については、ついつい無批判で取り込み、それを世界観に組み込んでしまいがちだ。特に組み込まれやすいものは、日常生活で目に見えやすいものが多い。逆に、日常生活で体験しているものであっても科学的な知見と反するように見えるものや感じるもの(例:クラスの中で誕生日が一緒の人がいる確率は?)は、指摘されて初めて「ヘぇボタン」を押すということになる(そのとき、その論理の正しさではなく、「自分の認識と違っていた」ということ自体に感銘を受けるだけの場合も多い)。

  日常目にしているもの、あるいは自分自身で調べたものを解釈するとき、全く新しい解釈をすることは非常に困難であり、それを可能にするためには一種の才能の持ち主に頼るとかそれなりの訓練を受ける必要が出てくる。

  特に、今まで見えてこなかった出来事、例えば自分の周囲の人間関係がソシオグラム(行為者間の関係を図表化したもの)のようにどーんと目の前に出される=ソーシャルネットワーキングサービスでマッピングされると、友達の友達がどう繋がっているのかといったような、自分1人では通常分からないことを強引に理解しろと強制されることになる。しかしそれはそもそも無理なわけで、例えて言うなら「1、2、3・・・たくさん」の世界なのだ。そこで、本当のところはどうであってもいいのだけれど、自分で納得感を得られる認知の枠組みで説明してしまいたくなる。そんな枠組みが、すでに社会的にお墨付きをもらっていそうな「理論」や「法則」、あるいは著名な人の発言であればなおいい。

  ただし、そこには若干の不安が残る。そこで不安=認知的不協和の低減のために、自分の周りで再検証できる事例を探し始める。「ある、ある!」の心理だ。そのとき、そこに典型的な選択認知の罠があることは問うてはならない。

社会的ネットワークの魅力

  再びミルグラムの「小さな世界」に戻ってみよう。ネブラスカ州オマハの任意に選ばれた宛名へと発送された手紙のうち、実際に目的とする人物に行き着いたのは30%程度しかない。その30%程度の到達成功事例を分析すると、「平均」6回の仲介がなされたということであった。この実験結果からは、「世界のすべての人は6人を介して繋がっている」なんてとても言えまい。

  僕らはどこかで、地球という惑星の上で生活している人間が構成する「世界」はひとつであってくれるといいという世界観を共有しているようだ。これは一種の願望であり、期待としてはそうあっていいものだと思う。だが、依然としてファンタジーでしかないことも認識するべきだ。そもそも、この惑星の中に住んでいる人間の中には世界という認識を持たない人も多いだろうし、繋がることを拒否する人やグループも数多く存在する。言われてみればそれも当たり前の話だ。しかし「世界のすべての人は・・・」といわれたときには、一瞬忘れてしまいそうになる事実でもある。

  「小さな世界」実験から得られたことは、僕らは70%もの郵便が目的の人物に到達しなかったという、失敗が当たり前な「大きな世界」に住んでいるという孤独感を感じること、ではないだろう。むしろ、たった30%であっても、その30%の成功に結びつくにはどれほどたくさんの人たちの善意がなければいけなかったのかということを忘れてはならないのではないか。もちろん、30%の成功に結びつかなかった、見えない善意もたくさんあったに違いない。それは、世界中のすべての人たちが6人で介在されるという錯覚された幸せよりも、もっと大切なことの確実な幸せなんだと僕には思えるのだが。

  社会的ネットワークについては、また違う視点からも取り上げてみたい。

余談

  社会的ネットワークを前提とした議論は、「うわさのネットワーク」が非常に強力な顧客獲得手段であるといったマーケティング的な注目を集めるものの、ついつい忘れられがちな議論でもある。例えば昨今、「日本のプロ野球がどうして没落したのか」に関する犯人探しが盛んだ。しかし、プロ野球を熱烈に応援してきた人たちは常にそれほど多数ではなかったはずだ。むしろ、カジュアル野球ファンとかプチ球団グルーピーとかの方が大多数のはずであり、彼らが野球を応援する理由として人間関係の維持としてのコミュニケーションが重要だったからに違いない。そう、誰かに合わせていただけなのだ。その誰かとは特定の誰かではなく、初対面の人に天候の話題をするのと同様に、誰にとっても差し障りさわりのない話題という時代があったのだ。

  しかし、人々の共通の話題は、すでにプロ野球ではない。Jリーグやメジャーリーグ(MLB)が進出してきたというのが直接的な原因ではなく、サッカーや米国のスポーツも含めて話題の対象が拡散してしまったからではないか。統計とにらめっこしながら特定の悪役を見つけようとしている方には申し訳ないが、ライバルたちのプレゼンスはプロ野球と比べるとそれほど大きくはないのだから、特定の何かを真犯人することは困難だ。あえて言うならば、マインドシェアの大多数を占めることができなくなった原因を犯人というしかないのだろうが、それは社会的ネットワークの細分化や分断化ということになるのではないかと思う。

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