前回に引き続き、いただいたトラックバックと共に3カ月間の掲載を振り返る。今回は後半4回分について見ていこう。
「内部」と「外部」、「エンティティ」と「変化」で取り上げた出来事を俯瞰することができると前回述べた。それらが通信業界における大型M&Aや既存サービスの延長上にあるものの性格を異にしたサービスの登場として、より明確に見えた出来事を3回に渡り取り上げた。加えて1回は、業界の全体的な風土的なものを象徴するトレンドへの注目振りを示すことで、エンティティがいかにして外部からの変化に対して平衡を保とうとするかを見た。
M&Aなどについては、その成果が急速に出てくるものではない。むしろ、統合や経営の移行のプロセスが非常に重いものであることを考慮すると、単純な「加算」効果はそれほど大きなメリットにはならないことのほうが大きい。そのため風評的には時差が生じやすいものだ。
通信業界の変化の方向性は法人を核
6月には通信業界の勢力図を塗り替えるような出来事がいくつかあったが、象徴的なものとして挙げられるのは投資ファンド会社が関連した通信事業者のM&Aだろう。Yahoo!BBで安価な常時広帯域接続やIP電話など既存通信事業者にとっては常識破りとなるサービスを立て続けに導入することで、通信業界の均衡状態を壊してきた孫正義社長率いるソフトバンクによる日本テレコムの買収であり、出口なしとも思えるPHS事業の建て直しに可能性を見出したカーライルと京セラによるDDIポケット買収である。
前者については、「統合通信サービスはどこに向かうのか:ソフトバンク・日本テレコムの明日(06/18)」では、法人顧客向けの統合通信サービスだけではなく、グループとしてADSLの規模による優位確立、そしてその向こうにある消費者向け移動体通信・インターネット・統合サービスの可能性などについて言及した。
今年に入り通信事業者の種別廃止などが実施されたことで、日本における通信の自由化はほぼ完成した。現在、NTT関連や放送との関係性など特定の領域に関するものが残るだけとなっている。これまでも規制緩和の流れに後押しされ、あるいはその流れ自体を加速しながら、基本的には国策、あるいはリスクの少ない事業として政府や金融機関などによって大事にされてきた通信事業者に喝を入れるソフトバンクの姿勢は小粋なほどだ。そのことに対して、NetcomEyeさんは:
として、これまでとは異なるパラダイムが主導する時代に突入したということを述べておられる。また、一度はNTTの分割によって寄り道を強いられ、企業にとっては通信コストの拡大が不可避になった時代から、統合サービスによって法人有利の時代が到来するのではないかという指摘は、tecchanさんがされている。そのとおりだろう。すでに、モバイル&IPセントレックス、タリフ撤廃、MNP(携帯電話番号継続制度)など組み合わせることで、大口利用者にとって有利な条件を引き出すことは可能になっているが、ソフトバンク+日本テレコムはそんな現状をますます加速するに違いない。携帯への進出もそのとおりだが、地道なベクトルとしては職域ADSLサービス(BtoE)なども可能になってくるだろう。
もうひとつの移動体通信の行き着くところはどこか
依然として熱烈なファンも多いものの、モバイル加入者回線として携帯電話と規制上区分されたことで悲劇の道を歩むことを強いられたPHS。その最大手のDDIポケットのKDDIグループからの独立について分析した「DDIポケットの明日はどこにあるのか(07/02)」では、「PHS=中国=巨大市場の可能性」といった単純な構図は必ずしも成立しないことを述べた上で、あるべき戦略の方向性について整理した。
トラックバック先では、読者の方々がPHSの生き残りの方向性として様々な可能性を掲げておられる。例えば、ymmrさんは:
として、特定用途利用の有効性を掲げておられ、FeelingDigitalさんは:
として、エンターテイメント機器への対応を希求しておられるようだ。またClarynoGranさんは:
すでに先行するプレーヤに追随することが有効ではないかという意見を述べられている。新生DDIポケットが、今後どのような商品戦略とマーケティング戦略を組み合わせてくるか楽しみだ。
IT業界で新たなトレンドが常に消費される理由
毎日ニュースを見ていると、それがたとえ機械的な習慣になったとしても、感覚的に社会に参画している気分が味わうことがでる。と、同時に、それが例え地球の裏側のことであってもメディアの向こうに映るようになると、我が家の問題というほど近しいものではないものの、もしかしたら自分に関係するかもというレベルの感覚が生じてくるようになる。そんな錯覚は、世界観の生成という意味では重要かもしれないが、時としてかごの中のハツカネズミよろしく、無意味な活動が習慣化し、それ自体が目的化する(コンサマトリー化)することがある・・・。
現代人の多くがそんな症候群に知らぬ間に罹患している。特にその症状が重いのがIT関係者というのを皮肉ったのが、「SEO/SEMの地平と彼岸 (07/16)」だ。本来的にはクライアントや自分自身がITやサービスの採用過程で、ROI(対投資効果)の最大化を図るために効果測定をする必要があるにもかかわらず、常に新しいテクノロジーやコンセプトを採用していなければ十分、あるいは不安になるという一種のヒステリー状態にある。にもかかわらず、時間が経過して、その評価をする段になって、ベンチマークがないにもかかわらず「良否」を結論付けなければ習い状態になれば、当然の如くスケープゴートが必要になる。そして、そこで生じた「ロス」を補填するためには・・・と、いう一種の悪循環に官僚的な組織の構成員は陥りがちだ。
そんな時こそ、一歩でも後ろに下がって、客観的な視点を持つことが重要になるはずだ。狭すぎず、十分に管理可能な範囲の視野を確保すること。そのあたりのセンスをビールを飲みながら考えてみた…さんは十分お分かりのようだ。
ちなみにこの回で言及したべき乗則については、ネットワーク分析や複雑系研究などで面白い議論があるが、それについてはまた近いときに取り上げてみようと思う。
既存のサービスの延長上にあるものはこれまでの仕組みが適用できるとは限らない
放送と通信の融合系のひとつとして議論した「サーバ型放送と合意形成(07/30)」へのトラックバックでTomo’s HotLine(http://toremoro.tea-nifty.com/tomos_hotline/2004/08/post_3.html)さんがサービス内容についてより詳細に整理されているが、読めば読むほど「放送と通信の境目って?」という疑問が深まる。そのことを率直に述べておられるのはFuturePlanningNetworkで徳力さんの発言だ:
多分に、徳力さんの「理解できていない」というのが本来正しい状態なのだろう。なぜなら、そもそも国境線のように放送と通信の境界線というものは、当事者同士はともかく、客観的にはあまり意味がないからだ。確かに技術的な特性は異なり、その歴史的経緯によって別のものとして捉えることが妥当であった時代がこれまで続いてきた。しかし、すでに時代は変わっているのだ。
基本的に技術優位でサービス自体が提供されてきてはおらず、むしろテクノロジーの進化によって自身の進む道が不明確になった現在、その指針の在り方は顕在的か潜在的かはともかくユーザーの需要に還元されることが多くなっている。もちろん、ユーザーに問いかけても、それは見えてこない。むしろ否定されることのほうが多いほどだ。しかし、サービスオペレーションの世界では「顧客満足」という指標は当然とされ、「CS重視経営」がもてはやされるのは当たり前となっている。
そんな中、既存の事業者がその存続という動機に基づいて行う開発が、既存の仕組みの維持という過剰な慣性によって方向付けられると、「ユーザー中心」などという掛け声はどこかに吹き飛んでしまう。(ここでようやくクリステンセン教授のあの有名な分析の登場となる)
「メディア融合」というテクノロジー、サービス、オペレーションなど様々なレイヤで、それぞれごとに議論ができる話題ではあるのだが、次なる時代の「メディアのあり方」というイメージの不在が議論の全体像を見えにくくする原因となり、トラックバックをいただいた方々が感じたような混乱に陥りがちになっているのではないだろうか。ここではっきりさせてしまってはどうか、本当は視聴者は何を求めているのかと。これを明確にはしにくい立場の企業や、そもそもそんなことを明確にするスキルも発想もない人たちも多い。だからこそ、それを「誰か」が提示することの重要性を認識するべきではないのかと思う。問題なのは、それが誰かということではあるのだけれど。
この話題、そろそろ一般でも取り上げられるようになってきている。今後もこのコラムで、具体的なプレーヤーの方との対話の成果も含めて動向などについてご紹介していこうと思う。
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