Joi Labsの伊藤穰一氏と慶應義塾大学総合政策学部教授の國領二郎氏が、「Business Success in Open Networks」(オープンネットワークにおけるビジネスの成功)をテーマに、ゲストに話を聞く連載。今回は日本経済新聞社の編集委員 兼 論説委員で、日米のIT業界の動向を追い続けてきた関口和一氏に話を聞いた。ここではその一部を紹介する。なお、対談の全編はCNET Japanビデオに掲載している。
関口氏はインターネットの登場に伴い、「ビジネスのルールが変わってきている」と指摘する。その変化とは大きく2つ。1つは、技術の革新によって世界が1つの市場になってきていること。2つめは、産業や経済の根幹が、農業や工業から情報へと移っていることだ。
日本はこれまで製造業の分野において、強い国際競争力を持っていた。しかし、ソフトウェアやネットワークが中心の時代に代わり、経済や教育、社会の仕組みが対応できなくなってきていると関口氏は話す。
農業や工業の時代は、「みんなが一緒になって汗を流して、成果物を得るというビジネスの仕組みだった。誰かがよくできるからといって、その人たちだけに報いるのは、チームワークを乱すため好まれなかった」(関口氏)。また、個人の能力には大きな差がないという前提のもと、大型設備などに資本を投下して、生産性を高めていた。
これに対し、ソフトウェアやインターネットが中心の時代には、個人の活躍が求められる。競争の中から優秀な人をどう選出し、資本を投下できるかによって競争力に差が出てきてしまう。
こういった状況下では、組織のオープン化が重要になるというのが関口氏の考えだ。工業分野においては、設備が中心で、人間がそこに集まって一緒に労働する必要があった。そのため、所属という概念が重要になっていた。しかし情報化時代には、同じ人が同時進行で複数のプロジェクトを進めたり、遠隔地にいる人同士でもやり取りできたりする。能力を持つ人が、その才能を発揮しやすいよう自由に空間や時間を決めて仕事をできるほうが、より良い成果が出せるというのだ。
もう1つ、関口氏が注目しているのは、人の年齢だ。インターネットが登場して以降、世の中を変えた発明は、天才的なプログラマーや経営者が19歳のときに起きたというのが関口氏の説だ。例えば、Microsoftを創業したビル・ゲイツ氏がパソコンのBASICを開発したのが19歳、1974年のときだ。マイケル・デル氏がBTO(Build to Order)モデルを作ったのも1984年、19歳のとき。マーク・アンドリューセン氏がブラウザのMosaicモザイクを作ったのも、ショーン・ファニング氏がNapsterを作ったのも19歳。最近では、マーク・ザッカーバーグ氏が19歳のころ、Facebookを作っている。
「19歳のときに世の中を変える大きなことができるというのは、それだけ自由に、世の中の制約にとらわれないで発想できるからだ。その年齢を、日本は制度的に無駄遣いをしていないだろうか」(関口氏)。日本にも同じようなことができる人はいるはずであり、それをもっと世の中に出していけるような仕組みが必要だと、関口氏は考えている。
「日本というのは徒弟社会、農耕社会なので、経験がものを言う。そうすると、リーダーは自分が一番偉いと思って若い人の意見を聞かない。そうではなく、今の技術革新は若い世代がどんどんやっているのだから、そこへ耳を傾けないといけない」(関口氏)
Silicon Graphics(SGI)やNetscape Communications創業者のジム・クラーク氏にベンチャーで成功する秘訣は何かと聞いたところ、「自分よりも頭が良くて、自分よりも若いやつと組むことだ」と答えたという。こういった精神を日本の経営者ももっと見習うべきだと関口氏は語っていた。
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