監査人が見たライブドア事件の舞台裏:後編 - (page 3)

構成:西田隆一(編集部)
写真:梅野隆児(ルーピクスデザイン)
2006年06月22日 13時20分

田中:本当にビジネスラインからするとクエスチョンがつく部分も確かにありました。堀江さんの発想は「儲かればいいじゃないか。だから安く買って高く売るんだ」という考えで割り切れば、「なるほど」と言えないこともないというか……。

小池:投資業としてやっている分にはそれが目的だからいいんだろうけど、やっぱりちょっとマネーゲームになっちゃっていたかな。

田中:そうですね。それはあると思います。

小池:ライブドアの功罪の功という意味では、素人が今まではあまり気にもせず、わからなかった金融スキームを一般化させたという意味では非常に意味があったと思う。それから「自分たちも堀江さんみたいなものを目指して起業家になりたい」みたいな人たちがすごく増えたと思うんだよね。フリーターやニートが社会問題になっているけれども、企業に雇われるだけでなく自ら起業してチャレンジする若者も増えたのは確かだし、日本の旧体制やエスタブリッシュメントに果敢と挑戦していったチャレンジ精神は、日本の若者に大きな勇気と活力を与えたと思う。

田中:そうですね。

小池:その辺はどう思います? 功罪の功の部分は、今ではあまりクローズアップされないかもしれないけど。

田中:事件については言語道断だと思います。ですが、功の部分は、今おっしゃったように、やはり人生の選択肢として起業というものがあるのだということを広く知らしめた効果がすごくあると思うんです。

 私は大学を1994年に卒業していますが、当時、大学を卒業ないしは社会に出た若い人たちで、起業という選択肢を持っていた人がどれだけいるかといったら、多分ほとんどいないと思うんです。でも、今は小学生向けの雑誌などにも「起業」とか「起業家」という言葉が出てくるぐらい、小学生も認識しています。

 それはすごく大事なことで、日本はどうしても出る杭は打たれる傾向にあるんです。今もバッシングされたりしていますが、やっぱりアメリカなんて、お金持ちは世の中にいろいろ貢献してくれるし、称賛されますよね。やっぱりそういう人がどんどん増えてくるべきだし、そういう人がいることによって社会が得られる経済効果はものすごく大きいですよね。だから、本当はそういう道を示した功績はあると思います。

ラグビーの世界的プレイヤーにあこがれた学生時代

小池:起業の話が出たところで、今度はライブドアの話は終わりにして、この対談は起業家をフォーカスしているんだけど、田中さん自身が学生のときにどういうことをやっていて、社会に出たらどういうことをやりたいと思っていたかをお聞かせいただきたいんです。

田中:私の親の出身高校はラグビーの強い学校で、正月にラグビーを見る習慣があったんですが、その影響で私もラグビーが好きだったんです。それで、私が中学校1年生だった1985年に慶應大学がトヨタに勝ってラグビーで日本一になったんです。それを見てすごく感動しました。

 私は「ここでラグビーをやりたい」と思ったので、そのときの慶應大学のメンバーを見たら、みんな下の高校出身だったんです。そこで、その高校に入ったんです。それで高校はラグビーをやっていました。

 ということで、私のベースはラグビーにあるんですが、私が高校1年生のときに初めてラグビーでワールドカップが行われたんです。そのときに優勝したのがニュージーランドで、キャプテンは私と同じポジションのスクラムハーフという9番だったんです。デビット・カークというそのキャプテンは、ワールドカップが終わった後にローズ奨学生としてオックスフォードの医学部に入って、医者の道に進んだんです。

田中慎一氏

 それを見ていて、世界の人たちはすごいなと思ったんです。世界で活躍する人たちのスケールの大きさに感動して、自分もプロフェショナルな道を選ぼうと思ったんです。

 大学に入って、私は経済学部だったのでエコノミストになろうと思ったんですが、何がきっかけかよく覚えていませんが、もしかしたら経済の最先端にいるのは公認会計士なんじゃないかと勝手に思い込んで、公認会計士を目指し始めたんです。大学の間に勉強して、大学を卒業した年に公認会計士試験に受かったんですが、とにかく自分は、何でもいいのだけれど、何かプロフェショナルな道を進もうとずっと思っていました。

小池:何か自分で資格を取って自分で生きていけるというのもすごくいいことだと思う。それで、とにかく必死になって大学の時に勉強して、卒業して受かったと。

田中:そうですね。2年半ぐらい勉強しました。

小池:それでどこに就職したんでしたっけ?

田中:今のあずさ監査法人、当時は合併前でセンチュリー監査法人(KPMGグループ)というところです。そこに入って、5年9カ月働いていました。そこでは監査以外にもM&Aのデューデリジェンス(適正な投資なのかどうかを事前に調査すること)などいろいろやりました。私は個人的には監査以外の比重もわりに高かったほうです。

小池:監査を中心にやって、M&AのデューデリジェンスとかIPOの支援とかをやってきたわけだ。

田中:そうです。

小池:その前に、経済の最先端で会計士になろうというのがあったのだと思いますが、ずっと会計事務所で会計士をやっていようと思ってやっていたわけではないと思うんだけど。

田中:そういう気持ちはさらさらなかったですね。

小池:そもそも起業家として、自分で何かやりたいみたいな希望はあったんですか。

田中:何かあったんですね。大学の時に英語で作文をするという課題みたいなものがあって、私はそこに「経営者になりたい」と書いたんです。だから、漠然と何か思っていたんですよね。

 皆さんもそうかもしれませんが、どんな小さな事業でもいいんですが、自分で会社を起こして持っている人って、僕は尊敬の対象なんです。というのは、自分で道を切り開いて、それが大きかろうが小さかろうが自分でやっているということですよね。そういう人は本当に尊敬に値するし、一番偉いと思うんです。

 監査法人もそうですが、私は投資銀行の世界にもいました。そういう立派な人がいるからはじめてそれをお手伝いする人もいて、そこからお金を頂戴できるみたいなものがありますよね。だから、私にとっては会社をやっている人たちは尊敬の対象です。最終的には自分は経営者にずっと雇われる人生ではなくて、プレイヤーになろうというのがありました。

小池:そういう思いがあれば会計事務所でもいろいろな勉強ができるし、仕事自体はおもしろいかもしれないけど、正直言って会計士の最初のうちは下積みの作業が多いですよね。

田中:まあ可能性と限界と両方見えてくるわけです。おもしろさと物足りなさと両方あって、この比重がだんだん変わってくるんですよね。そうすると、当然次の道をと考えるんでしょうね。

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