USEN宇野社長が抱くコンテンツへの飽くなき渇望

「先を見据た戦略」への経緯

 「ブロードバンドインフラの普及は、インターネットの第一幕としてすでに終わった。これからは第二段階として、そのインフラを使って何をするかという局面に来てます。もちろんFTTHをわが社は辞めるわけではもちろんない。FTTHだって『やろう』と言い始めてから4年はかかっているわけで、コンテンツ流通もスタートして半年程度で離陸できるわけじゃないんです。何年か先を見据えていかなければならない」

 2005年春、USENの宇野康秀社長は私の取材に対してそう答えた。前年の秋、音楽会社エイベックスや映画会社ギャガへの出資に相次いで乗り出した理由を聞いたことに対する返答である。そして彼が言った「何年か先を見据えて」という考え方は、実のところここ数年のUSENの経営戦略を象徴する言葉でもあるように思える。今回、彼がライブドアの株式買収に乗り出したのも、そうした考え方が色濃く反映しているように見えるからだ。

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3月16日の業務提携の会見で握手するUSENの宇野社長(左)とライブドアの平松社長(右)

 USENとライブドアの業務提携をどう見るか。

 その論評に際しては、USEN側の事情、そしてライブドア側の事情をそれぞれ見ていかなければならない。

 まずUSEN側の事情から見ていこう。同社はよく知られているように、もともと大阪有線放送社という名称で、同軸ケーブルを使って有線放送を飲食店などに流すビジネスを行っていた。

 宇野社長の先代、元忠氏(故人)はきわめて強烈な個性の持ち主で、電力会社や電電公社(現NTT)に無断で電柱に同軸ケーブルを違法に張り巡らし、有線放送の巨大な全国網を築き上げた。だが国家権力とも激しく対立する結果にもなり、1984年には有線ラジオ放送法違反で逮捕される事態にもなった。

 このころ、息子の康秀氏はまだ明治学院大学の学生。1963年生まれの彼は典型的な「新人類」世代で、「プロデュース研究会」というサークルの総代表を務め、全国展開のイベントを頻繁に開くなど、学生起業家のはしりのような存在だった。

 康秀氏は大学を卒業後、リクルートコスモスに入社。25歳で人材サービスのインテリジェンスを起業する。彼が大阪有線を継いだのは1998年、父元忠氏がガンに冒されたのがきっかけだった。会社を継ぐにあたって康秀氏は「ひとりデューデリジェンス」のような作業を行って会社の資産を調べ、電柱の違法使用状態の解消とブロードバンド化という2つの戦略で打って出ることを決意する。現在のUSENのスタートである。もっとも康秀氏のこの新戦略は、相当な社内の抵抗にあったとされている。

 「当時の大阪有線は最も非ITな会社で、90年代末だというのに営業所にはパソコンさえなかった。みんな手書きで伝票を打っていたんです。そんなところにリクルート的なスタイルを宇野さんが持ち込もうとしたから、たいへんな抵抗にあった」(当時の大阪有線社員)

もがき苦しんだ光ファイバーサービス

 そうした抵抗をねじ伏せ、康秀氏は2001年、光ファイバーを使ったインターネット接続サービスを開始させた。社名も有線ブロードネットワークス(現USEN)と変えた。同時に垂直統合モデルとして回線の利用者向けに音楽や映画のコンテンツ配信を始め、「全国津々浦々に光ファイバーを」「4年後には加入世帯300万を実現する」と打ち上げた。余勢を駆って、同年夏には、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)に株式上場も果たした。

 だが勢いが良かったのもここまでで、以降USENは長い苦境の時期を過ごす羽目になる。最大の誤算は、ソフトバンクがADSLサービス「Yahoo! BB」でインターネット接続ビジネスに参入してきたことだった。月額2000円台という激安価格のYahoo! BBは爆発的な人気を呼び、USENのFTTHは霞んでしまう。今でこそFTTHの広帯域は人気を集めているが、まだナローバンドがほとんどだった2001年ごろの段階では、FTTHの魅力は消費者には伝わらなかったのだ。ADSLと比べて、FTTHは面倒な引き込み工事を要したことも敗因だった。ブロードバンドという言葉さえほとんど知られていなかった当時、マンションなどにFTTH工事を申し入れても、管理組合や家主の理解を得るのは非常に難しかったのである。

 垂直統合型コンテンツビジネスも、うまくいかなかった。康秀氏は私の取材に対し、敗因をこう説明している。「インターネットの世界で垂直統合はあり得なかったということですね。たとえて言えばそれは、トヨタ自動車が高速道路も車も作るというようなもの。トヨタの車だから、トヨタの作った道しか走れないというようなことにはならないでしょう」

 このころ、私はネット業界で「USENから営業マンが大量退職している」といった噂を頻繁に聞いた。その噂が真実だったのかどうかは確認していないが、そうした噂が流れること自体、同社の行く末について人々が悲観視していたことの現れだった。

 しかしそうやってもがき苦しんでいるうちに、USENには「マンション管理組合をどう説得し、どうFTTHの引き込み工事を行うか」というノウハウが徐々に蓄積されていく。そして康秀氏は当初の「通信キャリア―プロバイダ―コンテンツ」という垂直統合モデルを捨て、そのノウハウを生かした「FTTH引き込みビジネス」にUSENを特化させることで、負け戦をひっくり返すのである。考え抜いた末の戦略転換による成功だった。

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