ライブドアの元社長、堀江貴文氏に東京地方裁判所は2年半の実刑判決を下した。極めて厳密な判決だが、これをただ単純に堀江氏ら元経営陣の意図的な犯罪としてしまうのは難しいのではないか。むしろ、この背後にあるベンチャー企業が対処せざるを得ないさまざまなリスクとは何かを同定するきっかけとしてはどうか。
先日、多摩大学情報社会学研究所長の公文俊平先生からお話を伺った際に、先生が「現在は超臨界状態にある」とおっしゃっておられたことが印象的だった。超臨界状態という物理学用語(原子力工学関連で耳にすることのほうが多いかもしれないけれど)は、物質に圧力と熱がかかることで液体と気体の両方の性質をもった状態を指す。ここでは「実質的には社会的な変化はゆっくりと進んでいるものの、相転移に結びつくような爆発的な変化がいつ起こってもおかしくない」という状況を示しており、ほんの小さな刺激であっても大きな変化に結びつく可能性を常に包含していることを意味する。この状態がいつから始まったのかについては、公文先生はおっしゃらなかったが、多分にITバブル崩壊期ではなかったか。
数年前、その刺激(あるいは、それらしきもの)がいくつか発生した。少なくとも、そう思った方は多いだろう。そのひとつとして、2004年にライブドアと名前を変えたばかりのITベンチャー企業の社会的な躍進があった。既存の社会の「変」に対して愚直な疑問を唱えるその代表者の姿に、喝采した人は多かった。しかし、2006年1月、検察による証券取引法違反容疑による家宅捜査、代表取締役の堀江貴文氏ら経営幹部の逮捕によって、それはあっさりと潰えた。そして、それから1年3カ月を経て、東京地裁での堀江被告に対する実刑判決言い渡しでひとつの読点がついたことになる。そして、それは結果としてさらに超臨界状態という日本の状況を引き延ばすことになった。
この判決に先行して発生した日興コーディアルグループの粉飾決済問題では、東京証券取引所はライブドアのように上場廃止ではなく、上場維持を結論として出した。日興コーディアルグループに起きたのは検察による捜査と経営陣逮捕ではなく金融庁からの課徴金納付命令だけだった。また、これまで検察が介入した経済事件でも、経営者への刑事罰は実刑ではなく執行猶予の求刑がとられることが一般的だった。
日興コーディアルの問題は、ライブドア同様、ファンドや子会社などの運用に関連した粉飾決済とされている。しかも、ライブドアの粉飾決済額と比べて、格段に大きい金額に絡んだものだ。もちろん、これは金融機関と事業会社の違いであるといわれれば、そのとおりだろう。しかし、金融のプロとしてその運用そのものを任されている企業の責任と、公開会社として株主に対しての責任にはどれほど違いがあるのかと問われると、一概に答えは出せまい。
逆にいえば、金融商品取引法で公開会社の内部統制などのあり方が厳格に問われる今、日興コーディアルグループへは甘く、ライブドアには厳しい対応がなされたという印象があることは拭えない。このことは、それが事実かどうかはともかく、当初からライブドア事件の立件そのものが、見せしめ、あるいは国策捜査といわれてきた感をさらに強める。
ライブドア事件で立件対象となっているものは、
――に大きく分けられている。これについて、今回の判決から2つの課題が浮かび上がってくるのではないか。
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