1月16日の強制捜査以来、ライブドア事件は1週間後の堀江前社長の逮捕で世間の耳目を集めるピークに至った。しかしながら、堀江前社長の逮捕の原因となった証券取引法違反についての詳細な議論はあまりなされることなく、同氏が過去にとった既存の勢力に対してとられた行動、あるいは株式を用いたマネーゲーム=錬金術に対する感情的な反発などによってその態度が形成されている傾向が強い。結果、新たな経営手法、特に金融を用いた経営活動に対して、なんらかの形で社会的な制約が発生し、正当な形で利用可能になった選択肢までをも失わざるを得ないことを願うのみだ。
ベンチャーが設立するファンドに逆風
ライブドアショックは思わぬ形で僕の周囲に影響を及ぼしてきた。
僕が経営している株式会社シンクは、1月24日に東京都と共にコンテンツ産業育成のためのアニメーション作品制作支援事業の開始を発表した。コンテンツ産業に対する注目が高まる昨今、東京都という地域行政府が海外市場での成功を試みる新しい才能の発掘を目的として、民間企業と共に資金供給を行い、後押しするという新しい形の産業振興事業の発表には、多くの注目が集まるという期待をしていた。が、前日のライブドア堀江貴文社長逮捕という社会的注目の大きな事件の煽りを受けて、経済専門紙でも地域面でのみの掲載という程度になってしまった。
この事実に対して、知り合いの新聞記者は「ベンチャーが設立するファンドという点で、世間の見方が厳しくなっている」と、紙面の制約から来る掲載記事のプライオリティ付けから生じた結果のみではなく、我々の事業内容それ自体がライブドアショックから生じた逆風にあっているという指摘をする。
このことが本当であるとすると、極めて残念なことであるといわざるを得ない。もちろん、ライブドアとその子会社が行った不透明な証券取引について、今回の逮捕容疑となっただけの根拠が存在することを否定する気は毛頭ない。しかし、その取引にまつわる様々な手法のうち、投資を目的とした事業組合を活用した事業範囲の拡大や強化などの個別の手法までを否定する向きが出ているとしたら、それは極めて大きな問題だといわざるを得ない。まさしく「産湯と一緒に赤子を流す」という議論になりかねないからだ。
IT企業という「あだ花」
しかして、そもそも「ヒルズ族」と呼ばれた、マザーズやヘラクレス(かつてのナスダックジャパン)などの新興株式市場が開設された初期に株式公開を行った企業の多くが、明確な事業の強みを持ったものばかりではなく、「インターネットを利用したサービスの提供」という今となってはことさら強力とは思えないが、当時であれば株式市場における相対的な新規性を有していたことに依存してきたことは否定できない。そう、早い者勝ちでしかなかったのだ。決してITそのものに依拠する事業モデルを持たない企業であってもIT企業と呼ばれていること自体、違和感をもつ方が多いに違いないことがそれを裏打ちしているのではないか。
もちろん、新しい経済の流れや社会の構造変化のきっかけに、いち早く目を向けることには賞賛に値することではある。だが、やみくもにただ「新しい」ということだけでその事業そのものが「正しい」ということには、当然のことながら、なりはしない。
しかし、前世紀末のビットバレー・ブームは、それに10年先行した土地バブル同様、本来目覚めるべき倫理観を狂わせる何かがあったのかもしれない。結果、そのような状況下で株式公開を行う機会を得た企業は、そのひずみを抱えたまま企業活動を継続しなければならなくなり、本質的な強みをそもそも持たない彼らの多くには、金融的な手法を用いて周囲の企業を取り込み、一種「質より量」的な戦略をとるという選択肢しかなくなっていたことは否定できまい。
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