考えただけで相手に意思が伝わり、念じるだけでモノを動かすことができる——そのようなSFで語られてきた未来は、もしかしたらもうすぐそこに近付いているのかもしれない。1980年代から、脳の情報を読み取ってコンピューターや機械とつなぐBrain Computer Interface(BCI)の研究が進められてきたが、昨今Elon Musk氏が率いるNeuralinkが脳に埋め込むチップを発表するなど、BCI領域での技術開発が加速している状況だ。
そういった市場の動きがあるなか、国内ベンチャーのCyberneX(サイバネックス)が、耳の穴から脳波を含む生体情報を取得するイヤホン型のBCIデバイスを開発し、「Ear Brain Interface」技術の実用化段階に差し掛かっているという。
事業の可能性や同社が描くこれからの市場展開について、サイバネックス COOの有川樹一郎氏と、Chief Strategy Officerの泉水亮介氏に聞いた。
——Ear Brain Interfaceの開発および事業化に至った経緯を教えてください。
泉水氏:元々Ear Brain Interfaceは、富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)で研究されていた技術でした。2010年代からお金もリソースもかけて研究を続けてきたのですが、富士ゼロックスが米国Xeroxとの資本関係解消に伴って事業の選択と集中を進めるなかで、事業化は難しいという判断に至ったのです。そこで同社の技術者で新規事業部門の責任者でもあった馬場(基文氏=現サイバネックス 代表取締役CEO&CTO)が、技術資産の譲渡を受けて2020年にサイバネックスを立ち上げ、当社にて事業化しました。
——サイバネックスが目指している世界観とはどのようなものでしょうか。Ear Brain Interfaceが普及するとどんなことが実現されるのでしょうか。
泉水氏:当社がEar Brain Interfaceの活用で目指しているのは、「脳情報活用前提社会」あるいは「人間の理解を深めていって、リアルなウェルビーイングを実現していくこと」です。簡単に言うと、脳の情報を味方につけた社会を実現するということです。われわれが提供するプラットフォームを活用することで人が何に喜び何に悲しむのか、自分はどういう人間なのかを理解できる。良い状態に持っていくためにソリューションやサービスが開発され、それらを自分や他人のために使っていく。その結果として、人間社会の質がワンランク上がる——という世界を目指しています。
また昨今、心理的や精神的なウェルビーイングの実現をうたったサービスが登場していますが、今は物差しがなく、根拠が乏しい状態でおこなおうとしている状況です。われわれは脳情報を取得して人間を正確に理解し、その上で本当の意味でのウェルビーイング社会を実現していこうとしているのです。
——一般的なBCIとEar Brain Interfaceは、何が異なるのでしょうか。
有川氏:BCIが身近になりつつあるとはいえ、実際まだまだ脳の情報にアクセスすることは難しいです。脳情報にアクセスする際には、ベッドの上でじっと動かない状態で大きな機器を頭につけてデータを取っていかなければなりません。装置の装着に30分かかり、機器によっては頭蓋骨に穴をあけて電極を挿す仕組みになっています。
体が不自由な方がそれらを頭に埋め込み、ブレインインターフェースとして意思を伝えたりモノを動かしたりするケースはありますが、あくまで特別に必要な方たちに向けてのものです。もちろんそれも必要で大事な取り組みなのですが、私たちが実現したいのは、一般の方が日常的にウェルビーイングになれる仕組みの提供であり、一般的なBCIとは全く異なるアプローチです。これが耳から脳情報を取得するという技術を開発した背景になります。
——サイバネックスが提供するEar Brain Interfaceのサービスは、具体的にはどのような形で提供されるのでしょうか。そもそも、なぜ耳から脳波を取得するのですか?
泉水氏:われわれのサービスの核になっているEar Brain Interfaceという技術では、イヤホンを付けるだけで、耳の穴から脳の情報にアクセスできます。具体的なインターフェースとしてイヤホン型デバイスの「XHOLOS(エクゾロス) Ear Brain Interface」を開発しています。
まず、なぜ耳なのかというところから説明すると、第一に耳の穴の奥は脳に近いことが挙げられます。脳波を測定する際は微弱な電流を捉える必要があるのですが、耳の中からピュアな情報が採りやすいのです。従来のヘッドセット型インターフェースの場合、頭皮にジェルを塗って電流を取得する必要がありますが、手間がかかるうえに動きにも弱く、動くとノイズが乗ることもあります。イヤホンであれば耳に固定されるので、ある程度動いても問題ありません。
そのほかの要素としては、耳に機器を付けるということが社会的に受け入れられていることも大きいですね。つまりEar Brain Interfaceは、「いま世界で一番簡単に脳にアクセスし、それを活用できる技術」といえます。
有川氏:イヤホンから取得したデータは、私たちが開発したアルゴリズムを搭載したソフトウェアで解析し、何らかのアクションのトリガーとして活用できます。それらの仕組みをまとめて1つにしたプラットフォームを「エクゾロス」としてソリューション化しており、その中にイヤホン型のデバイスやソフトウェアを含んでいます。
——現段階での具体的な活用例はありますか?
泉水氏:脳データの変化をトリガーアクションとして、ライトの色を変える装置を開発しています。頭の中の状態に合わせて、リアルタイムに色が変化します。
キーボードやボイスコントロールなどの一般的な入力インターフェースは、一回頭の中で自分が“こうしたい”と考えていることをアウトプットして、それをインプットすることに使われています。しかし、頭の中の動きや人間の内面状態、例えばリラックスしているとか集中しているとか、イライラしている状態というのはなかなか言語化しにくいですよね。そこをこの仕組みを使えば、瞬時に読み取ってリアルタイムに反映させることができるのです。
——それをどのように使うのでしょうか?
泉水氏:例えば、集中力が高い状態をライトで光らせることが可能です。チャットツールへ投稿する仕組みとして実装すれば、「誰々が高パフォーマンス状態なので今は話しかけないほうが良い」など、働きやすく生産性が高い職場環境を作ることができます。ほかにも、パフォーマンスの高い社員を可視化することもできるでしょう。
この仕組みは、実際にわれわれの検証環境を兼ねて「Holistic Relaxation Lab XHOLOS麻布広尾」というリラクゼーションサロンに採用し、自社で運営をしています。施術を受けているお客様が気持ちいいと感じているのか、痛いのかが色で分かるので、セラピストが状態を把握してリアルタイムで最適な形に施術方法を変えていくことができます。お客様からも、「何も言わなくても力の加減を変えてくれる」と好評です。これはまさに、以心伝心の実現といえるでしょう。
有川氏:施術はもみほぐし、アロマトリートメント、ヘッドマッサージ、マインドフルネスという形でおこないますが、その都度脳波のデータをクラウドに送って処理しています。施術終了後にそのレポートを基に振り返るのですが、お客様は直前の体験を振り返ることで、具体的な施術内容と体感との因果関係や自分に合っている施術内容がわかります。
例えばマインドフルネスの効果などはわかりにくいかもしれませんが、自分のスコアが変化する状態を見ることができたら、効果があったと理解しやすいはずです。それによって、ウェルビーイングなコンテンツを自ら探索しに行って、体感を得ることが可能になるのです。
また、開始から1カ月で何度もアプリのアップデートを重ねており、従来は研究室に委託し、1カ月ほど実験をした後に算出できるようなデータが、一瞬で分かるようになっています。最初に開発したアプリはレポートの粒度が低く10分おきにスコアを出す程度でしたが、今では5秒に1回スコアを積み重ね、グラフ表示するまでに改善しています。サロンは土日営業なので、週末にフィードバックをかけ、平日に開発陣が修正し、アプリをブラッシュアップしています。
泉水氏:今は自分たちでリラクゼーションサロンの事業をしている状態ですが、ほかにもビジネスや個人のさまざまな領域へ、活用シーンをどんどん広げていきます。エクゾロスとしてプラットフォーム化しているので、自社だけでなく、他社と一緒になって広げていくこともできます。
——実際に話が進んでいるプロジェクトなどはあるのでしょうか。
泉水氏:発表しているレベルでは、横河電機と共同研究を進めていますし、そのほかにも働き方領域のソリューションを提供している事業者や教育、スポーツ、リラクゼーション関連と、多種多様な業界から声がかかっていますね。特にウェアラブルやスマートウォッチでは提供できないサービスにチャレンジするために、われわれにお声がけ頂くケースが目立ちます。フィットネスや睡眠は物理の動きがありますが、リラックスすることに関しては頭の中の動きなので、ウェアラブルで採るのは難しいんですよね。
有川氏:いまはリラックス系を中心に話をしていますが、集中度とか脳活性度に変えれば、不快な人や心穏やかに働いている人がどれくらいいるかもわかるようになります。表現と何を解釈するか、情報を変えていくことで、さまざまなユースシーンが作れるようになっているのです。例えばストレス度を測れば、周りから休んだほうが良いと言えるようになりますし、ストレスを自分で排除できるようになって感情のマネジメントができるようにもなります。つまり、今まで脳にコントロールされていたところを、逆に脳をコントロールしに行くことができるのです。
——他社サービスとの差別化要素を教えてください。
有川氏:現在BCIの領域で、日常利用に寄せて検証しているのは私たちだけです。他はニューロサイエンス(脳科学や神経科学)の領域で、ヘルスケアや医療に使おうとしています。私たちは、内面の可視化をして体感を得るという体験を作っていくことに特化しているので、そこでの競合はいません。私たちがやりたいことは、ニューロサイエンスでなくコンピューターサイエンスなのです。
——Ear Brain Interfaceを一般消費者が使えるようになるのはいつ頃になるのでしょうか?
泉水氏:すでに技術の販売はしている段階ですが、市場展開するためにはイヤホン型デバイスにはまだ改善の余地もありますし、何より量産をしなければならなりません。ですので、コンシューマーレベルでの販売は2023年を予定しています。そして2年以内には、われわれのデバイスが電器屋の店頭に並ぶようにしたいですね。
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