ThinkPadシリーズは、1992年10月5日に誕生した「ThinkPad 700C」から20周年を迎える。
レノボ・ジャパンの代表取締役社長に4月1日付けで就任した渡辺朱美氏は、IBMにエンジニアとして入社した後、ThikPadの開発に関わっていたという。「ThinkPadの誕生に深くかかわった私が、20周年記念の記者会見の場に立っていることは感慨深く、非常にThinkPadとの縁を感じている」と挨拶した。
ThinkPadは、かつてIBM時代のPCブランドとして生まれたものだ。2005年5月に中国Lenovo GroupがIBMのPC事業を買収した経緯から、ThinkPadの開発もIBMからレノボへ移籍した。
ThinkPadのIBMでの出荷台数は約13年で約2500万台。レノボとしての出荷台数は2005年から約7年で約5200万台という。
現在は、世界市場で過去最高の15%のシェアを持つという。「第2位で、トップベンダーとのシェアの差を0.7ポイントまで縮めることができた。業界は非常に厳しい環境で、マイナス2%成長だが、その中でレノボは大きく成長できた」と好調ぶりをアピールした。
ThinkPadは160カ国で販売しており、法人向けではもっとも多い出荷台数。レノボの安定的な成長を支えるフラッグシップの製品だと位置付ける。ブランドの誕生当初から(1)堅牢性、(2)キーボードとトラックポイント、(3)イノベーションへのあくなき挑戦──の3つを柱に、今後もこだわり続けていくとした。
ThinkPadが生まれた背景には、当時液晶ディスプレイや小型HDD、CMOS半導体など、PCに必要となる技術を大和研究所や藤沢研究所、野淵事業所などで開発していたことにあるという。ThinkPadの父とも呼ばれるレノボ・ジャパン 取締役副社長の内藤在正氏は、「それらをエンドユーザーに製品として届けること。持ち運びができるコンピュータのニーズが要望としてあったこと。市場の要求と技術の成熟。この2つの要因が合わさったことによる」と背景を明かした。
一方で、研究した技術があってもすぐに使えるものではなかったという。また、当時はノートPCの業界標準の部品や設計仕様書はなくすべてが手探り状態だったという。ThinkPadの開発を行っていた大和事業所のあるフロアに、電気が消えている日はなかったとし、「1日24時間、週7日、年364日設計と実験を続けていた。大晦日だけは働かなかったが、それ以外は仕事をした」(内藤氏)。渡辺氏も「何日も寝泊まりして実験室にこもっていたエンジニアもいたし、除夜の鐘を聞きながら実験していたエンジニアもいた。──それは私ですが」と当時を振り返った。その経験が「コンポーネントから考える基礎が身についた」(内藤氏)とも言う。
ThinkPadを支える基礎概念は、どこでもオフィスと同等の生産性を引き出す「モビリティ」、PCを使っていることを忘れて仕事に没頭できる「透明性」、最高のビジネスの結果とバランスのとれたパーソナルな時間を捻出するための「成功」の3つ。これらは「すべてお客様の成功のため。ここに繋がらないことであれば、イノベーションに価値はない」と語る。
ThinkPadについて、「今までは1992年からずっとあるひとつのThinkPadが“こうあるべき”を踏襲してきたと思う。新しい意見を取り入れて再定義すべきではないか、という思いもあった。2005年頃にThinkPadは再定義が必要だと感じていたが、それがレノボに移ったとき。このタイミングではそれが別の意味で取られてしまうので、レガシーに対して重点をおいてきた。この20周年を節目に、次の20年に向けてベストなものはなにか。総合的にもっと多くの皆様に受け入れられる設計に変えなくてはならない。それが第5世代のThinkPadで、その最初の機会がThinkPad X1 Carbon」(内藤氏)と語った。
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