ディー・エヌ・エーはなぜ勝ち続けるのか――知られざる“テクノロジー”企業の姿(前編)
ディー・エヌ・エーはなぜ勝ち続けるのか――知られざる“テクノロジー”企業の姿(前編)
CNET Japan Ad Special、文・青山祐輔 写真・津島隆雄
モバオクで学んだスピード感ある開発スタイル
アイデアがたくさんあるといって、どのアイデアがヒットするかが最初からわかれば苦労はしない。たとえば、同社が手掛けるモバオクはケータイ向けのオークションサービスとして現在大きなシェアを獲得している。そもそものアイデアに対して実行を指示したのは南場氏だったが、当時エンジニアとしてこの事業の立ち上げを担った現取締役ポータル事業本部長兼COOの守安功氏は実のところ懐疑的だったようだ。守安氏は次のように語ってくれた。
「当時、モバオクの成功確率はどのくらいあるかと(南場氏に)訊かれて、10から20パーセントくらいだと言いました。スタートの時点で、すごい確信があったわけではない。でも、やるからには絶対に成功させようという思いはありました。」
そのために守安氏が行ったのは開発方法の改革だ。
「ビッダーズの(システムを開発した)時はSI(システムインテグレータ)に近い作り方をして、要件定義をまとめてきちんと設計していました。作業するエンジニアが社内外含めて20人くらいいたので。ただ、そのときから、サービスをちょっと変えるスピードをもっと速くできないかと思っていました。だからモバオクの責任者をやれと言われたとき、どういう開発のやり方がいいのか考えて、当時アルバイトだった川崎(現取締役の川崎修平氏)に一人で作れるかって聞いたんです。彼が『おもしろいですね、やらせてください』って言ったので、すべてを任せました。」
モバオクの立ち上げメンバーは守安氏、川崎氏を含めて5名ほどだったが、システムに関しては当時アルバイトだった川崎氏がほとんど一人で、しかも3カ月ほどで作ってしまったのだと言う。それまでのディー・エヌ・エーでとってきた開発スタイルとはまったく異なる方法論だった。
「そういった経験から、われわれの中でエンジニアが主体的にサービスを考えて作った方が早いし、いいものができる可能性が高いんじゃないかと思っています。ただ、やってみないとわからないものが多いので、最初は最小(の人員)構成で、無理なスケジュールで始めさせることが多いですね。スピード感重視で。そうすると、やりながらユーザーの反応がすぐわかるんです。モバゲータウンも(立ち上げた)初日から反応がめちゃくちゃよかった。そこから改めてチームを補強していきました。」(守安氏)
モバオクの事業の立ち上げの成功が、どうやら現在のディー・エヌ・エーの事業の立ち上げ方に繋がっているようだ。実際、モバゲータウン上で1月にスタートしたソーシャルゲームのためのオープンプラットフォーム化も、入社間もないエンジニアがリーダーとなってたった4名のチームで開発し、5カ月で本番稼動させている。
オープンプラットフォーム化については、先行していたミクシィが開発に時間をかけて四苦八苦していたことを考えると、ディー・エヌ・エーの成功は驚異的なスピードだとも言える。
「(ディー・エヌ・エーには)神のような技術者とか、天才的な技術者とか結構多いんですよ。でも、技術者があまりにも大事だから、外に出さなかったんですよね。露出させない。そのせいでディー・エヌ・エーは技術のイメージがあまりなかったのかもしれない」と南場氏は築きあげてきた現在の自社のイメージについて苦々しく語ってくれた。
ディー・エヌ・エーについては、南場氏のようなコンサルティング企業出身の経営者の顔やモバオクでのKDDIを始めとする事業提携など、“大人な”経営スタイルで事業を伸ばしてきたイメージが強かったが、経営陣から発せられる言葉を解釈すると、どうやら成功の根底にはあるのは、外部からは見えないエンジニアリングパワーにあるようだ。
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