世の中には、だいたい予想がつくものがある。
Appleの製品発表はその1つだ。新しいApple製品のために、素晴らしい広告が用意される。素晴らしい広告にはもちろん、素晴らしい音楽がつく。
広告を見た消費者はこう考える。「素晴らしい製品だ。絶対に買わなくては」
しかし米国時間5月7日に行われた製品発表は、予想外の展開となった。
Appleは、新型「iPad Pro」「iPad Air」をどちらかと言えば控えめなトーンで発表した。実際、筆者の同僚であるJada Jones記者が指摘したように、今回の発表の最大の見どころは第10世代「iPad」の価格が改定され、349ドル(日本では5万8800円)に下がったことだったのかもしれない。
一方、iPad Proの発表の一部は多くの人たちの気持ちを害することになった。
「人類の経験の破壊。提供:シリコンバレー」と表現したのは、有名俳優のHugh Grant氏だ。
Apple史上最薄のデバイスにそんなことができるのか。まさか、と思うかもしれない。しかし、Grant氏が言っているのは新型iPad Proそのものではなく、Appleが新型iPad Proの発表に合わせて公開した動画広告のことだ。
この動画には、多くの人たちに愛されてきた、そして今も愛され続けている「物」が登場する。レコードプレーヤー、トランペット、スピーカー、ピアノ。
ギターやメトロノーム、絵の具の缶もある。
そして、そのすべてが巨大なプレス機で押しつぶされ、(ご想像のとおり)史上最薄のAppleデバイス――新しいiPad Proに姿を変える。
この動画でAppleが何を伝えたかったのか、少なくとも何を狙っていたのかは想像できる。5mmほどの薄さしかないデバイスに、こんなにもたくさんのものが詰め込まれている。
さあ、新しいiPad Proにわくわくしてください、というメッセージだ。
しかし、この動画広告はGrant氏だけでなく、大勢の人を最悪な気分にさせた。
屋外広告プラットフォーム企業AdQuickのマーケティング担当バイスプレジデントのAdam Singer氏は、ソーシャルメディア「X」に次のようなコメントを投稿した。「この広告は、現代のクリエイティブが陥っている暗黒時代を(意図したわけではないにせよ)完璧に表現している。それは本物の楽器、不完全だが楽しい機械、有形のアート、あらゆる物理的な実体が押しつぶされ、魂のない、ポストモダンの読み出し専用デバイスに取って代わられ、巨額の資金を持つ大企業がそのデバイスの使い方を決める世界だ」
The Wall Street JournalのKatie Deighton記者も、Appleの動画広告にショックを受けた1人だ。「人々が喜びを見出してきたものをテクノロジーが抹殺する――そんなイメージをAppleの広告は見事に描き、しかも、それを良いこととして提示した。1本の広告が、理屈抜きにこれほど多くの反発を引き起こすのを見たのは久しぶりだ」
なぜこのような広告が作られたのかと思うかもしれない。常識にとらわれない、独創的な広告が作りたかったことは分かる。しかしTikTokで流行している日用品をつぶす動画を、クリエイティブチームが意識していた可能性もきわめて高い。
例えば、ロウソクをプレス機で押しつぶす動画はTikTokで310万もの「いいね」を得ている。TikTokには、この手のおもしろいクラッシュ動画が他にもたくさん上がっている。
広告代理店のクリエイターにとって、ミームやソーシャルメディアの流行りは安易だが、つい取り入れたくなるネタだ(筆者は過去に広告代理店で長くエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターを務めた)。
それでもApple、またはAppleの広告代理店の誰かが、この広告が否定的に受け取られるリスクを想像しなかったとしたら、きわめて奇妙だと言わざるを得ない。
さらに奇妙なのは、Appleをテクノロジー界の「ビッグブラザー」、邪魔者をすべてつぶす支配者のように描いた広告を、Apple自身が発表したことだ。1984年、ジョージ・オーウェルの小説を思わせる陰鬱な世界を背景に、1人の女性が支配者「ビッグブラザー」にハンマーを投げつける伝説の広告を作ったのは、ほかならぬAppleではなかったか。
もっとも、クリエイティブチームとクライアントの重役が特定のアイデアを「クール」だと思い込み、一種の集団思考に陥ってしまうことは広告の世界では珍しくない。
ではAppleは今、何をすべきなのか。Appleはすでに謝罪したが、問題の動画はYouTubeを含む、あらゆる場所から取り下げた方がよいだろう。
しかしもっと重要なのは、iPad Proの「薄さ」のメリットを伝える新しい広告を打つことだ。
Steve Jobs氏は初代「MacBook Air」を発表した際、このデバイスを紙封筒から取り出すことで、その薄さをアピールした。これはMacBook Airの薄さを印象づけるドラマチックな演出だった。
今回の新iPad Proについては、薄さだけでなく、薄さがもたらす具体的なメリットを印象的な方法で伝える必要がある。薄いことの価値は何か。初代iPad Proはともかく、筆者はiPadがかさばると感じたことは一度もない。
例えば史上最薄のiPadを使うことで、どんな満足感が得られるか、いかに一歩前進できるかを生き生きと、巧みに、できれば心が浮き立つようなトーンで伝える広告はどうだろう。
Appleにとって、直近の課題は今回の思いがけないミスを修正することだ。どうか、この薄さがもたらすメリットを具体的に教えてほしい。
そして、新しいiPadが気に入ったと思わせてほしい。
この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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