この連載では、モノづくり企業と宇宙テック/宇宙ビジネスのつながりや活用事例を、4つの技術領域ごとに解説していきます。第4回となる今回のテーマは「宇宙×ライフサイエンスイノベーション」です。前編では、地球空間では実現しにくいライフサイエンスイノベーションの「研究事例」について、後編では「企業の取り組み事例」について、得られた知見や開発された技術を交えて紹介します。これら事例は、新たなWell-beingの実現に向けた多様な選択肢の増加が期待されています。
宇宙という遠隔地での過酷な環境は、私たちの日常生活に影響を与える技術の多くを開発する原動力となっています。宇宙ビジネスの興隆は、製造業から量子コンピューティングに至るまで、他の産業で使用される変革的なツールとして活用されています。生物学研究や医療においても同様の傾向が見られ、宇宙旅行到来時の健康管理だけではなく、今の地球生活を豊かにする英知の蓄積が進んでいます。
これまで600人以上が宇宙を訪れ、国際宇宙ステーションでは3000回以上の実験が行われましたが、宇宙の健康に関する研究はまだ主に理論的な段階です。長期間の宇宙滞在は、「筋肉の衰え」「骨密度の低下」「免疫機能の障害」「赤血球の減少」「心血管機能の障害や変化」「視力の低下」「がんのリスク増加」「テロメアの変化」などを引き起こすことが分かっていますが、現在もこれに対する有効な対策を講じるために研究活動が進められています。
宇宙飛行士(将来は宇宙旅行者)の多くは、「宇宙酔い」や「思考力の低下」、「気分の変化」にも悩まされることが知られています。これらの問題は、宇宙の過酷な環境や遠隔性によるものもありますが、重力の欠如が重要な要因であり、これに対処するのは非常に難しいとされています。
ライフサイエンス(Life Science)は、生命や生物に関する科学分野の総称です。生物学、医学、生化学、遺伝学、生態学、薬学など、様々な分野が含まれます。これらの分野は、生物の構造、機能、進化、相互作用、そして健康や疾病などの生物に関わる様々な側面を研究・解明します。総じて、ライフサイエンスは私たちの生活と未来を豊かにするために欠かせない科学分野であり、常に進化・発展していく分野であると言えます。
また、ライフサイエンスは、医療や農業、環境保護などの応用分野にも大きく貢献しています。生物学の知見をもとにした医療技術や薬剤の開発、遺伝子編集技術の進展、持続可能な農業の推進など、ライフサイエンスの知識は私たちの日常生活に深く浸透しています。
宇宙とライフサイエンスの融合は進んでおり、宇宙環境での研究成果を地球での医療や健康診断、環境保護などに応用する取り組みも行われています。宇宙での生物実験が地球の疾患モデルの解明に活用されたり、宇宙からの遠隔医療が地球上の医療サービスの向上に貢献したりするなど、宇宙とライフサイエンスの相互の利益を追求する研究が進められています。「宇宙×ライフサイエンスイノベーション」は、未知の領域への探求心や未来への希望が込められており、宇宙とライフサイエンスの結びつきが地球での生活に与える影響について紹介します。これからどんな未来が開けるのか、共に探求していきましょう。
無重力では骨にカルシウム貯蔵がされ難くなり、地上の10倍の速さで骨が減るとされています。2016年に国際宇宙ステーション「きぼう」で行われた35日間のマウス飼育実験では、宇宙環境による劇的な骨量減少と破骨細胞の増加が確認されました。この問題に対し、ビスフォスフォネートと呼ばれる骨粗鬆症治療薬の使用が検討されました。JAXAとNASAの共同実験により、ビスフォスフォネート剤の毎週の摂取と骨・筋肉の刺激運動、カルシウムとビタミンDの摂取によって、宇宙飛行中の骨量減少と尿路結石のリスクを軽減できることが確認されました。
宇宙重力の影響を考慮した地球上の老化や筋力低下の遅延技術の研究は、ヒトの健康と福祉にとって重要な分野となっています。宇宙滞在では微小重力が長期間にわたって身体に与える影響が課題となっており、この知見は地球上の老化や筋力低下の遅延に応用される可能性があります。
東北大学大学院の東谷篤志教授らの研究グループは、宇宙無重力環境で生育した線虫の研究から、ドーパミン量の減少と運動能力の低下が明らかにしました。無重力環境では骨や筋肉が急速に萎縮することが分かっており、同研究ではモデル生物である線虫を用いて宇宙実験を行いました。その結果、無重力下で成長した線虫の筋肉タンパク質やミトコンドリア代謝酵素の低下に起因する運動能力の減弱が観察されました。さらに、ドーパミンを分解する酵素COMT-4遺伝子の発現が無重力下で低下していることも明らかにしました。
同研究グループは、無重力下でのドーパミン量低下の要因について検討を進め、物理的な接触刺激が影響している可能性を示しています。地上での疑似微小重力環境下で行った実験では、線虫に物理的な接触刺激を与えることで、ドーパミン量と運動性が回復したとの結果が得られています。この研究成果は、宇宙飛行士の健康維持や超高齢化社会における健康寿命の増進に大きな示唆を与えるものと期待されています。宇宙滞在者の健康リスクを理解し、対策を講じることで長期宇宙滞在の健康維持が向上する可能性があります。また、高齢者の筋力低下や運動機能障害にも共通するメカニズムが示唆され、地球上の健康寿命増進にも応用が期待されています。現在は、ミトコンドリア内のカルシウム濃度にも着目し、研究を進めています。また、筋萎縮の予防と緩和に有効である力学的刺激の受容と応答へのミトコンドリアの関与についても研究を進めています。
英国ケンブリッジ大学のEugene Terentjev教授らの研究チームは、筋肉を付けるための最適な運動方法を予測できる数理モデルを構築しました。同モデルは、タイチン(titin, 別名「コネクチン: connectin」)と呼ばれる筋肉の構成要素が、筋肉の成長に影響を与える化学シグナル生成の役割を担っていることを発見しました。タイチンは、筋肉の伸縮時に伸長したり収縮したりすることでシグナル伝達物質と結合し、筋肉の成長に関与する化学シグナルを生成します。研究チームは同知見に基づき、筋肉の成長を定量的に予測できる数学モデルを開発しました。同数学モデルにより、最大負荷の70%程度の負荷がより効率的に筋肥大を促進できることを示唆しました。一定以下の負荷では、効果的なシグナル伝達が行われなくなり、逆に過大な負荷では急激な疲労が生じるため良い結果が得られないと述べています。
同モデルは、宇宙飛行士の長期間の臥床や微小重力空間における筋萎縮の問題にも応用され、「どれくらいの期間不活発な状態を維持できるのか」「最適な回復方法がどのようなものか」について示唆しています。将来、同研究チームは同モデルを活用したアプリケーションを開発し、個々の目標に合わせた最適な運動療法を提供することを目指しています。
有人宇宙飛行は、将来的に地球低軌道から月、そしてさらに火星へと向かうことになると思われます。長期ミッションにおいては、乗組員の栄養や心理社会的ニーズを満たす食糧供給が重要です。現在の宇宙飛行士向け食品は、栄養の完全性と保存期間を保つことには成功していますが、長期の宇宙航海に最適化されているとは言えません。特に火星探査では、銀河宇宙放射線や太陽粒子に長時間さらされるため、その影響について完全に理解されていません。
宇宙での栄養学研究は、長期間の宇宙滞在において乗員の健康とパフォーマンスをサポートするために重要な役割を果たしています。多くの企業や大学が宇宙栄養学の研究を進め、その成果を地球上の食品開発や栄養バランスの最適化に応用しています。
日本の宇宙飛行士が滞在する国際宇宙ステーション(International Space Station:ISS)のミッションでは、日本宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency:JAXA)が宇宙栄養学の研究をリードしています。JAXAは宇宙滞在中に必要な栄養素の摂取量や吸収効率を調査し、地球上の食品開発に生かすためのデータを収集しています。これにより、栄養バランスの最適化に向けた有用な情報が得られています。また、徳島大学では、2023年4月に徳島大学大学院 医科栄養学研究科において「宇宙栄養学コース」を開設し、「宇宙専門管理栄養士/理学療法士」育成プログラムを開始しています。
日本企業においても、DigitalBlastが細胞実験特化の小型ライフサイエンス実験装置「AMAZ Alpha」のプロトタイプを完成させ、また、ElevationSpaceが開発する重力発生装置「TAMAKI」を利用した植物栽培実験環境の提供を開始しており、成果が期待されます。
米国のNASA(アメリカ航空宇宙局)でも、スペースフード(宇宙食)の研究開発に取り組んでいます。長期間の宇宙滞在では、食品の持続性や栄養密度が重要です。NASAは宇宙栄養学の成果を活用して、乗員の体調維持や健康促進のために効率的なスペースフードの開発に注力しています。これらの研究成果は、地球上の食品産業にも応用され、栄養価の高い食品の製造への利用が考えられます。
米国ノースカロライナ州立大学のおよびPlants for Human Health Institute所長であるE. Allen Foegeding教授らの研究チームは、機能性食用タンパク質-ポリフェノール凝集体を用いて、棒状(以降「バー」と称す」食品の硬化現象を起こさず、保存可能期間が非常に長い高タンパク質バー製造に関する研究を報告しています。同研究チームは、NASAの高タンパク質バーのレシピを踏襲し、クランベリーポリフェノールと乳清タンパク質から作った「タンパク質-ポリフェノール機能性粒子」を開発しました。
同研究チームは、同研究成果が、「食品構造の安定化」と植物活性化合物の「健康保護特性」を食品へ付与すると述べています。加えて、食用タンパク質で抑制したい「反応性」のひとつには、食品アレルギーの原因となるエピトープを持つタンパク質の「アレルゲン性」が挙げられます。同研究では、開発機能性粒子ポリフェノールがアレルギーのエピトープに結合することで、タンパク質の構造が変化し、アレルギー抑制を示しています。
タンパク質の反応性を減衰させることによる「保存安定性」は、将来、数ヵ月に及ぶ火星探索ミッションに立ち向かう宇宙飛行士にとっても理にかなっていますが、地球上の消費者にとっても「持ち運び可能で保存性の高いタンパク質豊富な食品を提供」は、慢性的飢餓問題や突発的飢饉問題への貢献にも期待されます。
宇宙探査に必要な栄養的、生理的、心理的ニーズを満たす食料供給は、重要視されています。宇宙飛行で高レベルの電離放射線やその他の有害な環境要因に晒される宇宙飛行士の健康を確保するためには、必要な栄養素がバランスよく含まれている必要があります。
現在、ISSに滞在する乗組員の主な栄養源は、加工食品と包装済み食品であり、包装は、アルミニウム箔層を持つハイバリアラミネートに真空包装され、微生物学的安全性を保ち、微小重力に適合する加工食品で構成されています。宇宙飛行士は、放射線の有害な影響、特にフリーラジカルによる損傷を受けやすいため、抗酸化作用を持つビタミンの摂取が重要視されています。
さらに、宇宙飛行士は日光を浴びる機会が少なく、ビタミンDを製造する能力が低下しているため、この栄養素を食事に取り入れる必要があります。オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の研究者らは、野菜パウダー(ブロッコリーとニンジン)を開発する研究も進められ、乾燥させると、粉末の一部(7.5 g)で1食分の野菜が摂取でき、宇宙飛行士の食事に実用的かつ栄養的に取り入れることが可能であることを示唆しています。同粉末は高い安定性を有し、25℃と40℃で12ヵ月間保存した後、ブロッコリー粉末の総フェノール含量はそれぞれ93%と116%、ニンジン粉末はそれぞれ114%と189%保持していたことが確認されています。
一方で、NASAのHuman Health and Performance Directorateの研究者らは、銀河宇宙線(GCR)シミュレーションの結果、1年間保存した後の栄養成分に識別可能な変化がないことを明らかにし、保存技術の高さを示しています。さらに、今後の研究において、地球の磁気圏を超えた環境における適切な時間および保管条件での栄養学的安定性を検証するとしています。加えて、ビタミンB1やビタミンE などの放射線に不安定な栄養素を豊富に含む、均質で水分の多い宇宙飛行食品に焦点を当てた研究を進めています。
後編では、宇宙×ライフサイエンスイノベーションの「企業の取り組み」について、4つの事例とともに紹介します。
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喜多村悦至
リンカーズ株式会社リサーチプラットフォーム事業本部 オープンイノベーション研究所
シニアリサーチャフェロー/東北大学加齢医学研究所研究員
鹿児島大学大学院連合農学研究科博士課程修了、博士(農学)
2003年英国Dundee大学Life Sciences学部博士研究員、2011年英国Dundee大学Life Sciences学部Senior research associate、2017年熊本大学発生医学研究所教員を経て2018年より現職。アカデミアバックグランドを活かして、バイオテクノロジー領域を中心に先端技術動向調査、産学連携促進活動など製造業向けの技術マッチング活動を支援している。
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