Metaが仮想現実(VR) プラットフォームへの事業を拡大するにつれて、メタバースへ注目が集まってきている。その一方で、メタバースでユーザーがいわゆるセクハラや嫌がらせを受けているという不穏な報告も出ているようだ。
「メタバースに入ってからたった60秒で……」。とある女性が2021年12月の投稿で次のように書いている。
「私は性的な嫌がらせを受けました。相手は男性の声の3、4人の男性アバターで。事実上、私のアバターは集団で性的な嫌がらせをされました」
そして男性アバターのユーザーは、彼女が性的な嫌がらせを受けている様子の写真を撮り、「嫌がるふりをするな」などのコメントを彼女に送ったと詳しく述べられている。この女性は、心理療法士でありメタバースの研究者でもある。また、別の女性もメタバース上で痴漢行為を受けたという報告をしており、こういった嫌がらせを受けた経験のあるユーザーは少なくないということが調査によっても報告されている。
このようなセンシティブな問題には注目は集まりやすい。メタバースが普及すれば、それに伴って考える必要がある問題も見えてくる。これまで筆者の齊藤大将も、メタバースをより楽しむ方法やメタバースに必要なデザインなどについて考えたり、VR上に学校コミュニティを創設したりしてきた。
そこで今回は、メタバースで憂慮すべき嫌がらせ行為について紹介する。
前述した女性の例のみならず、ユーザーの行動を研究している研究者など、 メタバースで別のユーザーから嫌がらせを受けたという事例は少なくない。2021年の Pew Research Center の調査では、アメリカ人の 41% がオンラインで何らかの嫌がらせを経験したことがあるという。さらに、セクハラやストーキングなど、より深刻なオンラインでの嫌がらせに直面する人が増加している。 同じ調査によると、オンラインでセクシャルハラスメントを受けたと報告した女性の割合は、4 年間で 8% から 16% に増加している。
メタバース空間にVRゴーグル(HMD)を装着して没入する場合、バーチャルとフィジカルの境界がぼやけ、多感覚の体験が生まれる。この場合、メタバースでの嫌がらせの経験を、物理的な経験のように感じてしまう傾向が強い。
たとえば、SNSなどのオンラインで言葉による嫌がらせを受けた多くの女性は、オンライン上での自分の経験を「現実のもの」と話し、これらの経験は心理的に良くない影響を与えている。
こういった事実をもとに、メタバースでの嫌がらせが現実の経験にどのように似ているか、オンラインとオフラインというある種デジタル二元論的思考について考えていく必要もありそうだ。
同じオンラインにせよ、VRのような没入型の触覚要素を含まないSNSのような他の形態のオンラインでの嫌がらせと、メタバースでの嫌がらせには異なる点がいくつかある。もっとも、メタバースでの嫌がらせはこれまでのオンラインでの嫌がらせの要素を一部持ちつつも、より現実的な悪い体験としてユーザーにとっては記憶される。メタバースでは身バレもしなければ、アカウントの作り直しや複数アカウントの所持も可能な環境のため、責任感がどうしても低くなってしまいがちだ。これは、SNS上での感情的および言葉による嫌がらせや誹謗中傷ともまた異なり、これまでの身体的嫌がらせに関する歴史とインターネットでの嫌がらせの複合的なものに近いのかもしれない。
こうしたケースは、明らかに憂慮すべきものだ。しかし、より複雑なのは、それがどうほかの人々に受け止められたか、という点かもしれない。最初に紹介した被害者の女性が自分の経験についてSNSに書き込んだ際には、非難の嵐にあったという。そこには「女性アバターを選ぶな」「おかしなことを言うな。仮想空間は現実ではない」といった反論が並んでいたそうだ。メタバースでの嫌がらせがSNS上で注目されると、往々にして、ジョークのように流されることもある。あくまで仮想空間で起きたことであり、仮に何か影響があったとしても大したものではない、という見方が一般的なようだ。
一方で、自分自身が黒人男性になり、実際に行われた黒人差別行為を体験できるVR作品も過去にいくつか制作されている。メタバースの嫌がらせ行為と照らし合わせて考えてみると、アバターの見た目は女性だが中身は男性だった場合、女性がうけるセクハラ行為を男性は自分ごとととして体験できるのだろうか。
SNSによる誹謗中傷によって精神的被害を受ける人はたくさんいる。なかにはそれが原因で鬱や自殺にまで追い込まれてしまうケースもある。
前述したようにSNSでの嫌がらせも、本人は軽い気持ちで発していたとしても、受け取った側には直接言われたかのような体験となり、心に大きな傷が残ってしまう。メタバースで嫌がらせを受けた女性についても、もしかしたら相手はちょっとしたちょっかいやじゃれ合いと思って行動していたかもしれない。つまり、セクハラする側は問題行動してるという自覚がないという可能性がある。しかし、性的嫌がらせを受けた女性にはひとつの大きなトラウマとなってしまったと推察する。その結果として、うつ病、不安、さらにはパニック障害やPTSDを発症する人もいる(参考)。
メタバースでは特に見た目や音声を変えることが可能であるため、なにをしても許されると勘違いしている人もいるのかもしれない。それがメタバース特有の文化でもあり、可能性のひとつと言える。しかし、そこにいるのは「人」である。そして、メタバースはVR SNSとも言われるように、メタバースはSNSよりも物理的な空間だ。物理的空間は、意味を与えられて場所になる。物理的世界において、対人関係ができることで、その場所は社会化する。「場所」には、物理的特性と情動的特性が不可欠である。どちらかがかけてしまっていては、それは場所にはならない。
メタバースをより温かみのある「場所」、そしてそこに「社会」や「文化」が形成されていくのであれば、より良い対人関係を作るための配慮や倫理観も求められるだろう。メタバースでは嫌なら相手をブロックしたりアバターや音声を非表示(ミュート)するようなことも可能である。技術的には嫌な相手をシャットアウトすることもできる。しかし、SNSと同様に「〇〇にブロックされた!」などブロックやミュートがバレることで与える不快感やいざこざもある。嫌な相手をブロックして気にせず過ごせる人もいれば、ずるずると抱え込んでしまう人もいる。そもそもメタバースで他のユーザーのブロックやミュートができることも知らない人の方も多い。
Metaは、同社が運営するメタバース「Horizon Worlds」と「Horizon Venues」向けに、アバターの周囲にパーソナルな距離を設定できる「Personal Boundary」機能を搭載している。他人のアバターの手が、誰かのパーソナルスペースに侵入するとその手が消える「ハンドハラスメント対策」を応用したものであり、メタバース上でのセクシャルハラスメントを防止するための機能だ。こうした技術的な解決も一つポイントになってくるだろう。しかし、嫌がらせをしてくる他者をブロックできたとしても、そうした行為によって受ける傷を事前に回避できるわけではない。
2021年後半、MetaがHorizon Worlds をリリースしたとき、ユーザーからはすぐに性的嫌がらせの報告が上がった。
メタバースというものは、多くの人々にとってはゲーム空間というイメージだろう。その視点からすると、メタバースでの嫌がらせは現実に起こったものではないから真剣に考える必要がないと感じる人もいるのかもしれない。
しかし、メタバースに関するデザインの記事でも以前筆者は述べたが、メタバースで体験することは限りなく現実に近い。メタバースを非現実と捉えるよりは、現実の中にこれまで非現実的だったものが取り込まれている方が正しいかもしれない。「バーチャル空間だから物理的な干渉ない」という甘い認識だと、行為によっては相手に対して嫌悪感や不快感を与えてしまうことも少なくない。実際に、筆者の周りでもメタバースでの他者とのコミュニケーションの難しさに、メタバースから離れてしまった人もいた。
現象が起こっている世界はバーチャル空間で非現実的だが、体験したこと、認知したものは現実のものとしてユーザーに記憶される。メタバース上で他人のアバターと接触する際、物理的な感触は無いにしても、音声や視覚により他者との距離感はリアルに感じる。
たとえば、メタバースでも知らない人と密着するような近い距離感でのコミュニケーションは、筆者を含め多くの人にとっては違和感がある。ゲームで他のユーザーと重なり合ってるだけでも違和感が生じることにも似ているかもしれない。
特に日本人ユーザー間では、初対面でも相手のアバターが小さくて可愛いときは、頭を撫で撫でするコミュニケーションをよく見るが、現実で考えてみるとな不思議な光景である。現実でも握手やキスを挨拶としてる文化もあることを考えると、この「メタバースで相手の頭を撫でる行為」は、メタバース上における日本の新しい挨拶の形なのかもしれない。あるいは、動物をあやすような行為に近いのか(といっても、中身はおじさんであることが多い)。文化的にも興味深い行動である。筆者はメタバースで他人に頭を撫でられたときは、いつもどうしていいかわからなくなる。
しかし、あくまで現実で経験してきたことや現実での風習が、多くの人にとってメタバースでの行動や認知のベースになるため、メタバースに参加していく人が増えていくのにつれて、メタバースやゲーム特有のノリのようなものに対して、受け入れられる人とそうでない人が分かれそうである。
今回取り上げたような嫌がらせ行為はどのSNSでも起こりうる事で、リアルではない空間の方が、自由度が高く開放的になってしまい、ほかの人から見て不快を感じる行動をとってしまうユーザーがいることは否定できない。何にせよ、不快を感じたら利用するのをやめるということも選択の一つとして頭に入れておこう。しかし、やめたからといって記憶がリセットされるわけでもないことも忘れてはいけない。
メタバースの人気の根本には「本物らしさ」がある。VRの醍醐味は、人間の神経系をある意味騙し、現実とは異なる3D空間の中で知覚的・身体的反応を経験させるところにある。それゆえ、「メタバースでの嫌がらせ」は人の身体が直接傷つけられることはなくても、そのときの心理的、神経的、感情的な経験は、現実での暴行に酷似しているという危険性がはらんでいると考えられる。神経系はその違いを認識できていない。
オンラインでの暴力行為は新しい法的領域である。 ユーザーをデジタルまたはバーチャルのセクハラから保護するため、サービス側は一定の規約を設けているものの、法的な面では課題が残されているのが実情である。アバターの姿で動画投稿を行うVTuberが、アバターへの中傷はアバターを使う本人への名誉毀損にあたるかどうかが争われた訴訟で、本人への名誉毀損にあたると判断された事例も出ているように、デジタルアバターを対象とした司法判断もされるようになったが、メタバースでの嫌がらせは、立法がまだ完全に対処されていない法律の初期の領域といえるだろう。
2021年4月の動きとして、欧州連合は、違法で有害なオンライン コンテンツに対処するためのデジタル サービス法を可決した。この法律は、テクノロジー企業がヘイトスピーチを監視し、迅速に削除することを義務付けている。さもなければ、企業のグローバル収益の最大6%の罰金が科せられる。ただ、米国企業は同様の規制や説明責任の対象ではない。
これまでのSNSの文化も含め、インターネットと人間の関係性、依存性、認知や行動というものは想像以上に複雑だ。好むと好まざるとにかかわらずメタバースは日々拡大している。筆者自身、日頃メタバースを楽しんでいるユーザーでもあるため、もっと良い広がりに繋がるようなメタバースの文化やコンテンツを一緒に作っていきたい。そして、この業界に関わるすべての人々が、未来のメタバースの門番・模範としての倫理的な責任を考えていく必要があると感じている。
齊藤大将
Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/】
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。
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