コロナ禍により長く苦戦を強いられてきた宿泊業界。しかし、ITを活用することで、この難局を乗り切っている宿泊施設もある。ここでは、ホテルや旅館向けの予約エンジンなどを提供するtripla(トリプラ)の高橋和久が、宿泊×DXを実践している企業などの事例から、これからの宿泊業界のあり方を解き明かす。
コロナ禍で大打撃を受けたホテル業界だが、中でもひときわダメージが大きかったのがインバウンドをメインターゲットにしていたホテルだろう。6月より段階的に緩和されている外国人観光客の入国規制だが、コロナ禍に突入した2020年には水際対策の強化で外国人の入国が事実上、不可能になった。
大阪のなんば、心斎橋、新大阪、道頓堀にある「SARASA HOTEL」も、コロナ前は訪日客で賑わっていたものの、この影響を受けて2020年5月から10月まで休館を余儀なくされた。
しかし、営業再開後はマーケティングやDX施策を駆使し、2022年5月における平均稼働率は95%。6月に外国人観光客の受け入れがスタートしてからは、FIT(海外個人旅行)から訪日団体客にシフトするために宿泊料金を調整し、あえて平均稼働率を68%に抑えつつ、その後7月には78%と右肩上がりで推移。理想的な運営ができている。
その秘訣は一体どのようなものなのか、同ホテルを運営する更紗ホテルズの取締役・統括本部長で、一般社団法人 全日本ホテル連盟の理事・近畿支部長も務める北原信輔氏に聞いた。
コロナの影響による休館後、国内の宿泊客を呼び込むために、同社がまず手掛けたのはマーケティング組織の再編。その上でインサイドセールスの分析として、マーケティングのフレームワークをブラッシュアップしたという。
はじめに実施したのは、リピーターを増やすためのセグメントマーケティングだ。過去の宿泊客のデータをもとに、STP分析する中で顧客ニーズをセグメントし、いくつかのプランを販売。そこから主要ターゲット顧客となる6パターン前後の顧客ポートフォリオを作成、分析し、ペルソナの大枠として浮かび上がったのが「50代男性」だった。さらにサブターゲットとして、競合ホテルがターゲットにしている「20代女性の3人組」「家族連れ」を想定しつつ、競合ホテルにはない“SARASA HOTELならではの売り”を模索した。
ターゲットを呼び込むための具体的なアクションとしては、4P分析の視点からプロダクトやプランを作り、販路選択の基準にした。加えて、顧客が予約に辿り着くまでのチャネル(SNSやGoogle検索等)をそれぞれ分析し、よりターゲットに届きやすい媒体を選んだという。
「私たちが大切にしているのは、ターゲットのお客様にとって価値があり、他社から本質的に真似されない、希少性のあるサービスを組織的に行うこと。そのために、経営陣を中心にマーケティングフレームワークやターゲティング、フィールドセールスのクロージングを進め、インサイドセールス担当者が見込み客の案件数をKPIにし、現場全員がカスタマーサクセスを実行することを繰り返している。その際、社内メンバーにVRIO分析の概念やマーケティングのKPIをわかりやすく共有して、ホテル全体のアクションに落としていくことを意識した。その中の一例として、新規顧客獲得のためにバラエティに富んだプランを作り、反響が少ないようであれば中止するというテストマーケティングを何度も行っている。例えば、コロナの影響で休業している飲食店が多く、夕食に困っていたお客様のために考案した夕食付きプランや、喫茶店と提携したモーニング付きプラン、1週間以上滞在するお客様に向けた長期宿泊プランなど。さらに、焼酎のボトルキープサービスやビールサーバーを導入したり、漫画本を1000冊用意してお客様が自由に読めるようにしたりという新たなサービスも始め、コロナ禍で外出自粛傾向が高まっていた分、ホテルでゆっくりくつろいでいただけるように工夫した」(SARASA HOTEL 北原氏)
こうした新プランやサービスは、お客様への「滞在中は何をして過ごしていますか?」というヒアリングをもとに生まれたものも多いという。結果、約半年間で40近くのプランをリリースし、うち2割がレギュラー化となった。
さらに、自社サイトからの予約を増やすためにSNS施策も強化した。中でもInstagramやLINE公式アカウント運用に力を入れたところ、InstagramやLINEから自社サイトに訪れ、予約につながったお客様が劇的に増えた。
Instagramの投稿内容はホテルサービスに留まらず、近隣飲食店や新しい観光などにまつわるお得情報の提供を心がけて、コンテンツとしての充実度向上を目指している。また、運営担当者(マーケティング&インサイドセールス担当者)を中心に、8月から全12回の「デジタルマーケティング研修」に参加し、主要メンバーのスキルアップに努めた。これまでは意欲の高いスタッフが独学で試行錯誤していたが、基礎から学んでノウハウを自社に蓄積することに加え、スタッフ個々人のスキルアップを実現するために取り入れたという。
結果として、「SARASA HOTEL なんば」では、これまで自社サイトからの予約が月間3件程度しかなかったものの、施策後は50件と約17倍になり、さらに「SARASA HOTEL 新大阪」はなんと 10件から500件と、50倍もの増加につながった。
2020年10月、ベトナムや台湾など限定的な範囲で入国制限措置が緩和された際には、これまでインバウンドをターゲットにしてきた同ホテルならではの柔軟な対応が実現した。
「このとき、入国後に2週間の待機期間を過ごさなければならないベトナムの就学生や技能実習生を迎えた。基本的に待機期間中は外出できないため、外部パートナーと提携して1日3食提供するなど、宿泊期間中の生活を全面的にサポート。中には、時間に余裕があることから飲酒量が増えて体調を崩すお客様もいたため、運動不足解消にヨガマットやバランスボールなどを提供し、健康的に過ごしてもらえるよう配慮した。さらに国や地域によって異なるさまざまなニーズへの対応や、技能実習生とかかわる企業や団体、留学生のご家族やかかわる学校関係者へのお手伝い(カスタマーサクセス)にも取り組み、一定のシェアを獲得できた」(SARASA HOTEL 北原氏)
ベトナムの就学生や技能実習生に、同ホテルに宿泊することの価値を感じてもらうことが、未来のインバウンドにもつながっていくと北原氏は考えている。
また、インバウンド需要に応えるための施策として、DX化にも積極的。訪日客向けのチャットツールは、ベトナムやマレーシアなどの方々が現地で使用しているものを導入し、メッセージの内容をSARASA HOTELグループで共有。結果、団体客から予約の問い合わせがあった際などに、十分な部屋数が用意できるのはどのホテルなのかすぐに把握できるようになり、以前は半日~3日ほどかかっていた返信が15分程度で完了するようになった。現在は10分でも遅いという認識を社内で共有している。
一方で、中小規模のホテルだからこそできる“お客様との密なコミュニケーション”を大切にするため、あえてアナログな部分も残している。
ここ数年で導入するホテルが増えた自動精算機だが、同ホテルはデジタル化に対するなじみが薄い傾向にある50〜60代男性が多く訪れるという理由で取り入れていない。すると必然的にスタッフとお客様の会話が生まれ、特にリピーターのお客様とは距離が縮まることも多い。
「受付はもちろん、コンシェルジュサービスなどを通してお客様との接点を増やしつつ、効率性も考えてDX化していくことが目標。スタッフはお客様がリピーターなのかどうか、リピーターの場合は前回どんなプランで予約していたのか把握しておかなければならないが、現場に人の手がまったく介入しない状態だとそれが難しい。スタッフがお客様とのコミュニケーションの中でやりがいや喜びを感じることはもちろん、お客様のみならず取引先を含めたステークホルダーの皆さんの体温を感じる環境を保っていきたい」(SARASA HOTEL 北原氏)
コロナ禍により、インバウンドから国内客へとターゲットを変更し、今後はその両方をターゲットにしていくという同ホテル。将来的には「ペット連れのビジネス客」「透析患者とその家族」などニッチな層も狙っていく計画だ。
「ペットを受け入れる場合、スタッフがペット連れのお客様に対してフレンドリーに接することを第一に、現状の設備やサービスを利用してもらうためには何が必要なのかを考えていきたい。また、日本は透析患者の方が世界一多いといわれているので、近隣の飲食店や医療センターと提携して、患者の方とその家族が安心して長期滞在できるツーリズムを作ることを目指している。競争地位の4類型に当てはめると、私たちはどうしてもフォロワーに位置する。そこで勝ち続けるためには大手より早く、そしてニッチだが魅力あるマーケットを常に探し求める必要がある」(SARASA HOTEL 北原氏)
グローバルな競争力を高めていたSARASA HOTELだが、コロナ禍を機に外部環境の分析と自社の強みの洗い出しを徹底的に繰り返し、現場でアウトプットした。中小規模のホテルはまだまだ戦略的な部分が弱い傾向にあるといわれている中で、マーケティング結果を施策にしっかり落とし込むことができている。想定外の事態が起こり得る現代でホテル運営をしていくにあたって、今後も大きな強みとなるだろう。
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