VRに「匂い」で高い没入感--多感覚メタバースで新たな体験が生み出される可能性

 視線や声色、体の動きなどは、メタバースやVRで再現できるようになりつつある。しかし、人間の感覚の中でもオンラインでは再現しにくい感覚のひとつとして「匂い」がある。匂いの再現についてはいろいろな取り組みが行われているものの、極めて難しい印象がある。

 そもそも匂いは、伝えることができるのだろうか。色については、光の三原色を組み合わせることで再現できる。それに対して匂いの場合、すべての臭いを再現するには40万種以上の要素臭(特定のにおい成分)が必要といわれている。

 生物の鼻には多数の嗅覚細胞があり、匂い物質が細胞に付着すると、ひとつひとつの嗅覚細胞が匂い物質により異なる信号を出す。この信号パターンを脳内で認識し、どのような匂いかを識別すると考えられている。一連の研究では「匂いの近似値」ならば、かなり再現できるのではないかということも期待されている。

 そこで今回は、匂いとメタバースの可能性についてみていきたい。

Web3用のバーチャルパフューム

 NIKEが所有するRTFKTは、ヨーロッパの高級フレグランスブランドであるByredoと提携し、物理的な香水としても購入できるWeb3用のデジタルな香りを作成している。このコラボレーションは、「AlphaMeta」というタイトルが付けられており、TwitterInstagramなどのSNSでも拡散されている。

 RTFKTStudiosの共同創設者であるBenitoPagottoは、「ビデオゲームでのポーションクラフトでNFTを適用し、最大350以上のユニークな香水を造る」と述べている。

 RTFKTはウェブサイトに「ファッションとゲームの現実を融合させる」と書いているが、どのように香りをWeb3に変換するかは不明である。 最近NIKEに買収された同社は、デジタルアーティストのFEWOCiOUS、デザイナーのジェフステープル、アーティストの村上隆などとコラボレーションを行っている。一方、ByredoはIKEA、Travis Scott、OdellBeckhamJr.などとコラボレーションを行ってきた。バーチャルおよびゲームの空間では、どのように匂いが再現されていくのだろうか。

「AlphaMeta」
「AlphaMeta」

匂いの体験化

 VR体験は、視覚と聴覚に大きく頼っているところがある。そこに匂いの演出を加えることで、よりリアルなものに近づけることができる可能性があると考えている。

 2018年に開催された、香りをテーマにした展示会では、VR上にバレンシア大聖堂が構築された。讃美歌が流れるなかで最後のシーンでは教会内で焚かれている乳香のニオイが噴霧され、参加者が実際に匂いを感じられるようになっていた。その後、体験者約50人にアンケートしたところによると、78%が香りによって現実感が増すと回答。ある体験者は「香りが入ったことで、完全に聖堂内に入っている気分になった」と語っている。これを見るに、匂いが没入感の向上に影響していると考えられるだろう。

 まだまだ一般化されているものは少ないものの、VRゴーグル(VR HMD)においても、アロマジェネレーターが取り付けられたものの研究開発も行われている。その技術を活用すれば、VRゴーグルを通して見える映像から、シーンに応じた匂いを感じることができる。

 現在はプロジェクトがストップしてしまっているようだが、匂いや水蒸気、冷温感や振動まで発生させて没入感をアップさせるVRデバイス「Feelreal」(フィールリアル)が、過去にクラウドファンディングを行なっていた。開始から1時間で目標の2万ドル(約220万円)に到達し、1日が経過する時点で目標金額の4倍ほどの資金を集め注目された。

香りや暑さ、衝撃などを感じさせるVRアクセサリー「Feelreal」--クラファンに再挑戦(2019年4月22日掲載)

 Feelrealは、香り、雨、風、振動、パンチなどをシミュレートできるVR用マルチセンサーマスクだ。対応しているVRゴーグルは、Oculus RiftやOculus Go、HTC ViveやPlaystation VRとしていたが、VRゴーグルにFeelrealが取り付ける必要があったり、ソフトの対応が別だったりと、まだまだ発展途上だった。Feelrealから学べることは、アイデアは画期的だが、各ゲームが個別に対応しなければ、匂いなどの機能を使うことができないという点だ。

「Feelreal」
「Feelreal」

 それ以前にもVRゴーグルに取り付けて、風を感じる体感デバイスZephVRがあった。ZephVRの場合は、ゲーム中の音に自動で反応して風がでてくるという仕組みであったため、ゲーム側が対応していなくても使うことができた。

匂いで臨場感が向上する

 オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)およびシドニー工科大学(UTS)のVR研究チームは、VR環境への匂いの追加が及ぼす影響について研究を進めている。そのなかで、ホラーゲームの「バイオハザード7 レジデント イービル」を活用した研究とと、その効果に関する報告がある。

 この研究では、バイオハザード7の世界に匂いを追加することで、ユーザーの心理にどのような変化が起こるかということが調査された。 実験には22人の被験者が参加した。被験者がゲームをしている最中は、VRヘッドセットと共に、被験者の鼻の下に柔らかいプラスチックチューブが固定されており、ここから匂いを生む揮発性物質を送られる。

 実験には、森にいる感覚を高める、刈りたての草のような匂いをもたらす「青葉アルコール(cis-3-hexen-1-ol)」と、いわゆる腐敗した臭いを連想させる「有機硫黄化合物(ジメチルトリスルフィド)」が、臭気のもととなる揮発性物質として扱われた。

 参加者には匂いがある場合と、匂いがない場合の2通りのVR環境でプレイしてもらった。そして、被験者に各ゲームをプレイしたもらった後、ゲームの「臨場感」と、各シーンへの没入感を評価するアンケートに回答してもらった。またアンケート調査のみならず、プレイヤーの心拍数、体温、皮膚電気活動など生理学的な測定値も同時に収集された。

 その実験の結果として、匂いの追加は、匂いのないVR環境と比較して、参加者の空間的な臨場感を大幅に増加させていることが示されたという。

「バイオハザード7 レジデント イービル」(Youtube「『BIOHAZARD 7 resident evil』 TAPE-2 “ベイカー”」より
「バイオハザード7 レジデント イービル」(Youtube「『BIOHAZARD 7 resident evil』 TAPE-2 “ベイカー”」より)
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匂いとVRが治療に役立つ未来

 嗅覚刺激は、感情と記憶にプラスの影響を及ぼす。匂いの活用は、ストレスなどの心理的および社会的問題の悪影響を軽減し幸福を高めるという効果が見られているため、治療においても期待されている。

 メンタルヘルス状態の患者にVRを介して提供される嗅覚と視覚刺激を調査する研究では、近年OVRTechnologyとバーモント州バーリントンを拠点とするバーモントメディカルセンターが提携し、ヘルスケアおよび専門的なトレーニング、教育などの分野で研究を進めている。大学の心理療法士および入院精神医学の研究者であるDavidLagTomasi博士(DSc HC、PhD、EdD-PhD、MA、MCS、AAT)も、「嗅覚VRは、幸福感の向上をサポートする治療へ効果的なアプローチを提供できます」と述べており、その効果には今後期待が集まる。

Tech Trends内「Smelling the Metaverse」より
Tech Trends内「Smelling the Metaverse」より

多感覚メタバースへ

 VRへの匂いの追加は、まだ研究段階のものとはいえ、実際に米新興企業であるOVRTechnologyなども製品化に取り組んでおり、実現される未来もそう遠くないだろう。現在は、視覚と聴覚に頼ったメタバース空間やVRが目立っているが、長い目で見たとき、今後、嗅覚や触覚などがデジタル空間で再現される可能性は高い。そういった多感覚のメタバースが実現されると、いよいよ現実とバーチャルの境目がわからなくなるのかもしれない。

齊藤大将

Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/

エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。

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