ベテラン看護師がいきなり関電の新規事業担当者に--「くちびるが感動する」カトラリーを生み出した猫舌堂・柴田氏 - (page 2)

製品のイメージは「日々の暮らし」のなかで固まっていた

——ニーズなどの調査はどんな風に進めていきましたか。

 自分がつながりのある当事者やその家族、病院関係者などにアンケートをとったり、ヒアリングしたりしました。あとは自分たちの経験ですね。普通のスプーンやフォークは特に食べにくさを感じる要因の1つだと思っていましたので。

 食べにくいのであれば、食べ物の形状を変えればいいと思われがちなんですけど、形を変えておいしいのかというとそうではないんですよね。見た目ってすごく大事で、細かく刻まれていたり、ドロドロになっていたりするとおいしくない。いくら食べやすく形状を変えてたところで、スプーンやフォークが普通のものだと味もよくないし、結局食べにくいんです。

 そもそも、なぜスプーンやフォークがこの大きさで、この深さなのか、みたいなことを調べていくほどに、その根拠があいまいだったことがわかりました。介護用スプーンもすでにありますが、デザインがよくないし、やっぱり食べづらい。当事者目線ではなくて介護者目線で作られたものなのかなと。

 あれこれ試してもしっくりくるものがなくて、当事者同士で話をしているところでもスプーンとフォークに悩んでいるという声がたくさんありました。だったら見つけるより、自分たちで作ればいいんじゃないか、という発想になったんです。

——普通のスプーン・フォークでは食べにくいというのは、具体的にはどこに課題があるのでしょう。

 猫舌堂の顧問を勤めていた元メンバーが、がんで舌を切除していたんです。舌がないと、咀嚼ができず、食べ物をまとめて喉に送り込むことができません。そのために、食べ物をスプーンなどでまとめて、水で喉に送り込むという食べ方をしています。ただ、それがしやすいスプーンがなかなかありませんでした。

 フォークは先が鋭くて危ないので使えず、ケーキをお箸で食べていると、何か違うものを持ち込んで食べているのではないかと疑われてしまうこともありました。彼女は外食するときにはプラスチックのスプーン、お箸を持ち歩いていたのですが、プラスチックで食べるご飯って味気がないんですよね。

 私が放射線治療をしていたときも、食欲がなくなって、ご飯を一口食べるのにも苦労しました。ですので、食欲がなくても効率良く栄養をとれるカレーをよく食べていたんですが、カレー用のスプーンはすごく大きいし、カーブも強くて、どうしても口の周りや服にこぼしやすくなる。そうすると人前でご飯が食べられず、社会からの疎外感を感じてしまう。

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 そういった社会からの疎外感みたいなものをなくしたいという思いがありました。食べる喜びは、何を食べるかも重要ですが、誰と食べるか、そこでどんな時間を過ごすか、というのが大事だったりします。他のみんなと同じようなスプーン・フォークを使うことができれば、疎外感を感じずに楽しく笑顔で過ごせるのではないかと。

——食べることにバリアがある人向けのものづくり。そのために製造現場との連携も必要だったかと思います。

 そこもまったく経験はなかったんです(笑)。ただ、食器などものづくりに強い新潟県の燕市で作りたいとは思っていました。私たちが関わっている摂食・嚥下の嚥には「燕」という文字が入っていますし、いかにもな介護用スプーン・フォークではなくて、そのへんのお店で売っているような社会に溶け込むデザインの製品を作りたかった。

 そしてメイドインジャパンであること。海外の人にもいいと思われるくらいの、どこにでも誇りをもって売れるようなモノにしたかったので、燕市で作ってもらうことしか考えていませんでしたね。なので、まずは調査しようと。

 サプライヤーを見つけるために燕市に直接行ってヒアリングしたり、どういった流れでカトラリーが作られるのか調べたり。最初は簡単に作れそうに思っていましたけど、知れば知るほど難しくもあり、魅力的にも感じるようになってきましたね。

——iisazyのスプーンやフォークの形状にはどんな工夫やこだわりがあるのでしょうか。

 一番こだわったのは、自分たちの経験からここは絶対に外せないな、と思っていた幅、薄さ、平らさ、軽さです。ただ、製作自体には苦労はあまりなかったですね。以前から自分たちでいろいろな種類のスプーンやフォークを買い集めて試していましたから。

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 「このスプーンはここはいいけど、ここは惜しい」みたいなことを常に考えていたので、どういうものが最適か、というイメージはできあがっていました。あとは試作品を実際に仲間のみんなに使ってもらいながら、微調整して完成しました。

同じ境遇の仲間たちとプロダクトの試作を使りながら、改良点などをヒアリングしたという
同じ境遇の方たちとプロダクトの試作を使りながら、改良点などをヒアリングしたという

 もちろんいいサプライヤーさん、いい職人さんに出会えたのも良かったと思います。みんなの意見もあわせて職人さんに伝えたら、うまく意図をくんで作っていただけました。燕市にはたくさんの工場がありますが、私が思い描いていたようなものを作ってくれるところと出会えたと思います。

——製品のラインアップや販路は現状どのようになっていますか。

 自社のECサイトの他に、リアル店舗では、今のところ大阪の関西電力病院のなかにあるローソンと、愛知がんセンターのローソン、がん患者に寄り添ったホテルとして知られる大阪ラクスケアホテルなどでも扱っています。

 今のところプロダクトのラインアップは、大まかにはスプーンとフォークと箸の3種類になります。箸は竹の箸だけを作っている熊本の「ヤマチク」さんにお願いしました。細すぎると食べ物をつかみにくいですし、太くても口に入れたときの感触がよくありませんので、使いやすくて口当たりのいい太さにしています。

 長さは持ち歩くときのことも考えています。短すぎると反対に使いにくいので、通常よりも少しだけ短い22cmとなっています。また、指が触れる部分は通常の2倍細かいやすりを使って滑らかに磨き上げることで、手にフィットする形状にしました。作り手さんたちが私たちの思いをくんで作ってくれたことが、手に持ってみると本当にわかるんですよね。

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 実際に使っていただいた方からも、箸の持ち方に自信がなかったけれど、これならちゃんと持てる、という声をいただきましたし、優しさが伝わってくるともよく言われます。「くちびるが感動する」シリーズと銘打っていますが、これは大阪でイベント販売したときに、お客様から「くちびるが感動したわ」という感想をもらって、それをキャッチフレーズにしたものです。

 がん患者や嚥下障害の方向け、ということにこだわらず、多くの人に、この使って初めてわかる感動が伝わってほしいという思いがあります。がん患者など、本当に届けたい人に対して直接伝えるだけでなく、そうではない一般の人から回り回って伝わるということも少なくありませんので、ギフト仕様のものも用意しています。

——他に、利用者からはどんな感想が届いていますか。

 こういうものを待っていた、という声が本当に多いですね。食べることに悩みをもつ大人だけでなく、子どもに使わせると食べこぼしが少なくなって、しかもよく食べるようになったとか、高齢者の介護をしている方からも、便利に使っているというお話をいただいています。

 赤ちゃんに離乳食を食べさせるときにもちょうどいいので、これからはそこに向けたプロモーションも考えていこうと思っています。子ども用のスプーンも意外と食べにくいんですよね。子どもの小さな手に合わせて持ち手部分は考えられていると思うんですが、口に入れたときの心地よさまでは考えられていないように感じます。

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——猫舌堂が立ち上がって、販売を始めてから1年半ほどたちます。ユーザーが拡大している実感はありますか。

 2020年度は、猫舌堂のことを知ってもらおうといろいろな場所で講演をしようと思っていたのですが、コロナ禍で相次いで中止になり、思っていたような活動ができませんでした。しかし、新聞などで取り上げていただいたり、オンラインイベントで活動したりして、なんとか販売を続けてきました。

 2021年度は、第1四半期の時点ですでにその2020年度と同等の販売数をクリアしましたが、食べることに悩みをもっている方は少なくとも国内に10万人はいるはずで、まだまだこれからだと思っています。

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