テレビ番組やウェブコンテンツをはじめとする各種メディア、そして街中のいたる場所で目にするフォント文字。フォントは、文章の読みやすさや言葉の意味を伝えるほかに、言葉の持つイメージを伝えるという表現技法的な役割も担う。たとえば、テレビドラマの題字、漫画のタイトルなどの創作物に採用されているフォントの文字は、字体を見ただけで登場人物やストーリーを想起させる。
その完成度の高さから、大人気アニメ「鬼滅の刃」をはじめとする多くのアニメやテレビ番組、食品パッケージなどで採用が広がる「毛筆フォント」を制作・販売するのが、鹿児島県さつま町にて、親子3代で経営するフォントメーカーの昭和書体である。ほぼすべてのフォントを手書きしているのが、書家の綱紀栄泉氏こと祖父の坂口綱紀氏。その綱紀氏を支えるマネージャー的役割を果たすのが、息子の坂口茂樹氏、そして孫の坂口太樹氏だ。
今回、その昭和書体で代表取締役を務める坂口太樹氏と、同取締役会長の茂樹氏に話を聞いた。これは、デジタル化によって廃れていった産業の再生、地方からの挑戦、技能の継承、そして家族愛など、様々なエッセンスが詰め込まれた、親子3代の絆のもと現在進行形で展開される成功譚である。
——まず、毛筆フォントが生まれるまでのエピソードを聞かせてください。
坂口太樹社長(以下:太樹氏) :もともと祖父の代では看板業を営んでいまして、ある時、資材屋さんが看板揮毫職人であった祖父の書いた文字を見て、「すごい文字だからフォント化して残したほうがいい」と勧めてくださったのが制作のきっかけです。また、祖父は看板に文字を手書きしていたのですが、年齢とともにだんだん書けなくなってきて、やはりこれは祖父の文字を残さなければいけないと。
さらに当時は、バブルがはじけて我々のような小さな町の看板屋は仕事が少なくなってきていたので、それならばフォント化に賭けてみようと。そこでまず「看板楷書」と「看板行書」の2つのフォントを作りました。最初は全然売れなかったのですが、コーエー(現コーエーテクモゲームス)さんに使っていただき、それを機に宣伝をしたら一気に広まったという経緯です。
坂口茂樹会長(以下:茂樹氏):徐々に同業者が廃業していくなか、看板屋にはもうひとつ後継者の問題というものがありまして、ほとんどの後継者が看板の文字を書けないのです。私も書いてみたのですが、父が書いたような毛筆にはならなくて。こればっかりは才能がなければ書けません。
それで看板屋がどうしたかというと、コンピュータを入れたわけです。最初は珍しくて良かったのですが、やはり看板は顔であって、看板で使う文字でお化粧をして、その品物が変わっていくわけですから。そうした時に、毛筆というものを残さないといけないと感じたのです。
——フォントを開発された当時、周囲の声はいかがでしたか。
茂樹氏:同業者に成功体験を話しても、「書けないからやっているんだろ?」と言われました。フォントに対して認識が浅かったですね。
太樹氏 :そう言っていた看板屋さんたちも今では同じ問題を抱えていて、展示会で毛筆フォントを紹介すると、そういった方々にも買っていただけるという状況です。「普通のレタリングのフォントはいくらでもあるけど、本当に欲しいのがなかったんだよね」と。
——看板業からフォントメーカーとしての今の形になったのはいつ頃ですか。
茂樹氏:フォントに一本化できるようになったのは6年前です。その時に新たに会社を作って、現在の体制になりました。今は3人でタッグを組んで、「今度はどんな文字を作ろうか?どんな文字を書こうか?」と話し合いながら色々な書体を生み出し、現在64書体を超えました。思うに、父には才能があったのだと思います。その欠片程度でも我々に才が引き継がれれば良かったのですが。
——綱紀さんはもともと書道家だったのですか?13年で毛筆フォント文字を50万字書かれたということですが膨大な数ですよね。
茂樹氏:いえ。独学で学んだそうです。昔は電柱に鉄板が貼ってあって、その上に看板文字が書いてあったのですが、その文字を勉強するため、半紙を持っていって電柱に張り付けて型を取り、それで練習したらしいです。実際、看板屋を始めた頃の古い看板を見ると下手なんです。だから努力ですよね。努力がどんどん花開いて、人ができないことをやってしまったのです。
太樹氏 :ただ、絵は学んでいたみたいです。なので、今も字を書くときは「絵を描いている」というんですよ。文字ではなくて。
茂樹氏:「そういう気持ちで書かないと1人で60書体以上なんて書けないよ」と。そのつど、人格を変えて書いているらしいです。父は温厚な性格ですが、書いているときに何か言うと怒ります。だから書いてほしい時は、機嫌のいい時に「これいいね。この字にしてよ」と持ち上げています(笑)。
——毛筆フォントの一番の魅力とは何でしょうか。
太樹氏 :筆文字ならではの「表情」ですね。ゴシックなどを悪く言うつもりはないですが、筆文字を見てどういうイメージを受け取るか。ちょっと荒々しくて豪快じゃないですか。対極になるような細い書体もありますし。そんな雰囲気をわかりやすく表現できるのが毛筆の良さだと思います。
——かすれの再現などのデジタル化は大変そうです。
茂樹氏:フォントを作成する際にはアウトラインを取るのですが、角々にポイントがあってかすれの場合はそれがすごい数になります。だから昔はパソコンが動かなくなってしまい悩んだこともありました。ほかにも、たとえば白龍というにじんだ文字があるのですが、これは障子紙に、にじむのを計算して書いています。フォントは紙選びから始まります。
太樹氏 :細く書いてにじませたり、絵の具で書いたものもありますね。フォント化する際には書いた文字を基に起こすのですが、できるだけ書いたままになるようにしています。文字によって表情や雰囲気が変わります。女性っぽさを出すこともありますし、筆文字は表情が豊かに表現できるものだと思っています。
——毛筆フォントは手書きでなければ出せない部分もあるのでしょうか。
茂樹氏:よくある年賀状のフォントはあくまで作られた文字で、綺麗にでき過ぎています。父は書く時には誰かが憑依しているというんですね。「だから文字じゃない、絵だ」と。最初に数十枚書いているうちにそうなっていくらしいです。ここはそうしたほうがいいとかやり取りをしながら進めていくのですが、途中で筆致が変わってしまっている時もあります。そういう時は、全部捨ててやり直しです。
——綱紀氏は1日に何時間くらい文字を書かれていますか。
茂樹氏:いまは5時間くらいで、字数でいえば50文字程度。昔は1日で100から200文字書いていた時もありました。こうしてインタビューを受けている間も鹿児島で書いていると思います。
令をどちらで書くか一瞬考えた様です。Twitterに載せるからですかね・・・。
— 株式会社昭和書体 毛筆フォント (@showa_shotai) March 5, 2020
コメント喜んでます、ありがとうございます!
リクエストお待ちしております!#看板文字#フォント化 pic.twitter.com/4plDWzJxBZ
——ご自身が書いた文字がフォントになることについてはどう理解されているようでしょうか。
茂樹氏:最初は「フォントって何だ」という反応でした。書いてもらった文字を作ってフォントにして打ち出して見せても、まだピンと来ていない様子でしたね。10数年経った今では、部屋の中に打ち出したフォントを30枚くらい重ねた紙を10列くらい置いておいて、友達に自慢しています。夏場などは窓を開けると飛んで行ってしまってイライラすることもあるようで(笑)。最近はテレビに映った自分が書いた文字を撮影するために、ガラケーをスマホに変えました。
——テレビ番組を見た人が、フォントを使いたいと問い合わせてくることもあるのでしょうか。
茂樹氏:あまりないですね。「今夜くらべてみました」という番組で先日、高嶋ちさ子さんの荒々しいコメントのテロップで使われていて、それが「般若」ってフォントなんですけど。それを見て「いいフォントだ」という人はあまりいませんよね。
ただ今回、人気漫画の「鬼滅の刃」のアニメで使われて、中学生の甥っ子に話したらすごく驚いて興奮していました(作中に登場する柱たちの名前紹介時に登場)。
——ほかにはどういったジャンルで使われていますか。
太樹氏 :テレビのほか、ラーメン屋や居酒屋などの食品系が多いですね。たとえば、ドラマ「陸王」の、こはぜ屋さんのはっぴや看板の文字がうちの字です。ちょっと街に出ると、看板がそうだったりします。展示会場に人気ラーメン店「中本」の社長が現れて、「使ってるよ」と言われたことも(笑)。人気プロレスラーのコスチュームにも使われていますね。
——毛筆フォントはどうすれば手に入れられるのでしょうか。鬼滅の刃を見て、このフォントを使いたいと感じた人も多いと思います。
太樹氏 :モリサワさんの「MORISAWA PASSPORT」に5書体。フォントワークスさんの「LETS」に20書体と、「昭和書体LETS」という単独のブランドでも販売しています。年間4000円の低価格ラインの製品もあります。
——現在のユーザーはどのような方が多いですか。
太樹氏 :個人の方や同人誌とかが多いですね。まだ一部の趣味や仕事の方に広がっている状況でして、デザイナーさんでも知らない方が多いんです。筆文字自体は少ないので、使っていただいてはいますが。
茂樹氏:我々の知らないところでフォントが独り歩きしている状況です。でも、それが昭和書体だといわれることはない。そこをいずれ「毛筆フォントは昭和書体」と言ってもらえるようになったら嬉しいですよね。
——今後はどのような事業展開を考えているのでしょうか。
太樹氏 :女性の書家さんを1名雇って、フォントを2種類出しました。そういった形でフォントを増やしていこうとしているのですが、書き手を見つけるのは大変です。フォントには第1水準、第2水準、拡張文字とあるのですが、全部で7600字くらいになります。一般の人は7000字も書けませんからね。
茂樹氏:人が変わると文字のイメージは全く変わるものです。うちのイメージを残したかったら、本当は我々が勉強しなければいけないのですが、それは不可能といっていい。そこで、周辺で探し出して声をかけています。
——綱紀氏の後継者というよりは新しい書体を増やす感覚ですね。
太樹氏 :そうですね。すでにこれだけの種類があるので。今では64書体を見分けられるのは私くらいですが(笑)。
——毛筆フォントの今後について教えてください。
茂樹氏:手書きの毛筆フォントは世界でもとても少ないです。ですので全国の毛筆フォントメーカーさんと手を組んで、協会を作るなりして日本の文化として毛筆フォントを守っていきたい。私どもは後発なので、あまり大きなことが言える立場ではないのですが、そういうこともしなければならないと思っています。
太樹氏 :筆文字の良さですよね。日本の文化として筆文字を残していかなければならないという思いはあります。看板屋さんで手書きしているのは現在1割もいないのではないでしょうか。
茂樹氏:文字を書ける人は絶滅危惧種です。また、フォントの規格がJIS90からJIS2004になったのに伴って文字を両方揃える作業が必要になるので、その問題についても毛筆フォントを作っている人たちで話し合って考えなければならない。これからやらなければいけないことは、たくさんあると思っています。
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