ウェブブラウザ「Sleipnir(スレイプニール)」の開発から会社をスタートしたフェンリルは、ユーザーの使いやすさを徹底的に追求したプロダクトやアプリ開発で、業界から高い信頼と評価を得ているIT企業だ。日本放送協会「NHKニュース・防災」や大成建設といった誰もが知る企業のアプリのほか、大手インフラ企業のアプリなども、実は同社が手がけている。
創業した2005年から変わらず大阪に拠点を置いていることも特徴で、グループ全体の社員数は400名を超える。創業時から一貫しているのは「デザインと技術」にこだわるプロ集団であり続けること。この考えは、創業者の1人でありSleipnirの生みの親であるフェンリル代表取締役社長の柏木泰幸氏の存在も影響している。
だが、柏木氏自身は、ほぼ表に出ることはなく、過去のインタビューや会社案内のメッセージなども、同じく創業メンバーで最高経営責任者(CEO)である牧野兼史氏に一任している。
なぜ、多くの企業がアイコンとして社長を前面に出す中、柏木氏は表に出ないという独自のスタイルを貫くのか。インタビューを通じて、お互いを補完しあう、まさに“太陽と月”のような関係である、柏木氏と牧野氏の素顔に迫るとともに、事業や人材に対する考え、今後のビジョンなどを聞いた。
ただし、残念ながら柏木氏が表に出ないという意思は固く、この日も写真撮影は一切NGだった。その姿を写すことができなかったため、牧野氏のみの写真でお届けする。
——フェンリルはいまや「グランフロント大阪」に拠点を構える、大阪を代表するIT企業の1社と言えますが、ウェブなどで柏木さんの情報を目にすることはまずありません。表に出ないことにこだわりはあるのでしょうか。
柏木氏 : 私は、ユーザーのみなさんからSleipnirやフェンリルを好きだと言ってもらえることはとても嬉しいことなのですが、自分自身をアピールしたいとは思っていません。私はいろんなモノを買って試すのが好きです。大好きなプロダクトもあります。でも、その作ったプロダクトの会社の社長が誰かということには全然興味がありません。むしろ作った人たちのプロダクトへの情熱に対して興味があります。どういう思いでデザインされているのか、技術的にどういう苦労を乗り越えたのかなどです。自己主張の強い社長の長話は好きではありません。
——牧野さんはそういう柏木さんの考えをどう思いますか。
牧野氏 : いいと思いますよ。柏木が表に出ないことで余計な情報を与えずに、私達がプロダクトに込めた想いを純粋に伝えることができるんじゃないかと思います。
——プロダクトや会社自体を愛してもらうことが一番大事で、あえて社長が表に出る必要はないという、まさに職人的な考え方なのですね。では、柏木さんは、普段どのような仕事をされているのでしょう。
柏木氏 : 自分や、働いてくれるみんなのハピネスのためにバランスを考えながら最も良い答えを探すことです。未来のために短期的にはよくないと思えることも決断しないといけないし、責任者の意見も尊重してあげたいし、方法が1つではなく、決めたらすぐ結果が出るわけではないので、どうなるかを気にしていたり、日々その連続です。
——それは創業時から変わらず?
柏木氏 : そうですね。とにかく考えることが好きです。私は両親に自分の責任で考えることが重要だと言われ続けて育ちました。自分がやりたいと言ったことはずっとやりつづけさせてくれました。そのかわり人のせいにするなともよく言われました。
両親からすれば子どもに対しての希望もあったと思うのですが、自分で考えて自分で決めて集中してやっていたことに対しては自由にさせてくれました。勉強もゲームも。中学校くらいからコンピューターにハマって10年間、大学も入学してからほぼ行かずにコンピューターしかやっていなくても何も言われませんでした。
牧野氏 : 柏木は考えるのが好きですが、僕はどちらかといえばすぐ行動する方です。ただ、どちらかといえば人見知りですし、そこまでお喋りでもありません。
——いまお二人とお話していると、柏木さんは「話好きなのに表には出ない」。一方で、牧野さんは「寡黙なのにあえて表に出る」という、正反対の印象を受けますね。そうすると、柏木さんの意見を外部に伝える時、牧野さんはどうしているのですか。
牧野氏 : できるだけ柏木の考えを汲み取って伝えようとしていますが、100%できているかといえば分かりません。1人でインタビューを受ける時に、質問に対してあまり私なりの意見を言ってしまうと、それが答えになってしまいます。間違って伝わるくらいなら喋らない方がいいので、できるだけ余計なことを言わないようにしています。
柏木氏 : 思いを正確に伝えたいので、自分たちでも頑張って表現しています。テキスト1つをとっても、なるべく短く具体的に、伝えたいイメージとズレがないようにしていますし、写真1つとってもデザイナーが意図を汲み取って選んでくれています。
私たちはそこにものすごくこだわっていて、そういう1つ1つの積み重ねが(外部に対して)思いを伝えることだと思ってます。牧野は私たちのそういう努力を知ってくれているから、それと違うことは言わないという選択をしてくれているのだと思います。
——思いを正しく伝えるために、あえてCEOは余計なことを言わないという考えは新鮮です。仕事上でのお二人のそれぞれの役割はどうしているのでしょうか。
柏木氏 : (牧野氏と自身を交互に指をさしながら)人前で喋る喋らない、スーツを着る着ない、真面目と不真面目、営業とデザイン・技術などです。
とにかく牧野は一度決めたことを堅実にやり続けるタイプで、私がビビってできないこともどんどんやってくれるし、面倒くさいからといいやと思うことを代わりにやってくれます。牧野は必要なことは伝えてくれるけど、余計なことは言わないから発言が信頼されるんです。
他に私の役目として、社内では幹部とのミーティング、社外では社員たちと趣味を通じて一緒に遊ぶことでコミュニケーションをとっています。
牧野氏 : 僕は趣味の話などは苦手なほうなので、社員たちとは仕事上で話すことが多いですね。
——本当に不思議な関係性ですね(笑)。見事に真逆というか。
牧野氏 : (柏木氏は)学生時代に出会っていたら恐らく交わらない存在で、自分と違う考えの人とあえて接してみようと思わないとしゃべる機会もない相手ですね。会社を一緒にやっていくために色々と話をしますが、そういう時にやはり自分とは全然考え方が違うと感じます。ただ、自分の考え方にプラスアルファすることで1人で考えるより広い考え方になる。
まだ会社が小さな時に、Sleipnirのプレスリリースを作ることがあったんですが、自分ではほぼ完璧だと自信をもって柏木に確認してもらうと、8割ほど赤が入る。こんな表現の仕方はないよなぁと思いながら直すと、最終的に自分が作るより良いものになるんです。
——お互いの違いをいい形で補完しあっているのですね。ただ、そもそもこれだけタイプの違う人同士が、なぜ一緒に会社を立ち上げることにしたのでしょうか。
牧野氏 : (2005年頃に)私が前職で新規事業を立ち上げる責任者になり、1から何かを考えて始めるか、すでにユーザーも付いているサービスだけど資本的なパワーが不足している個人と一緒に事業を拡大するか、という2つの方法で検討していました。
後者に関しては、メーラーやブラウザを開発している作者が何人かリストアップされていて、その中に柏木がいました。そこで僕から連絡をとって、東京から大阪へ会いに来たのが初めての出会いでした。
それまで会った作者さんたちは、自分で開発した製品や機能のすごさをプレゼンされていたのですが、柏木だけ自分が作ったブラウザのどこがいいかという話はほとんどせず、ユーザーが喜んで使ってくれて感想を言ってくれる。そのやりとりが面白いという話を喫茶店で2時間ぐらい話し続けていました。
どちらかといえば僕は機能を自慢するタイプの人間なので、柏木の話は新鮮だったし、とても真面目に(ユーザーに向けて)突き詰めている人がいることを知りました。もし仕事をするならユーザーとのやりとりを大切にしている人の方がその後の爆発力があるんじゃないかと思い、一緒にやりたいというところから話を始めました。
柏木氏 : ところが私はちょうどその時、空き巣にあってパソコンを盗まれSleipnirの開発ができなくなっていました。とにかくショックで人間不信だったところに、無表情な牧野ともう1人ニコニコした人が2人で話に来たので、心の中では「次は詐欺か」と思っていました。
とは思いつつも、多くのユーザーに励まされていて、Sleipnirを作り直したいけれど、会社員として働きながらでは時間も作れなかったので、「怖いけどチャンスかもしれない」と半年くらい牧野と話を続けました。何度も話をする中で牧野の誠実さに触れ、少しずつ信頼していきました。最終的には会社対個人としてではなく、一緒に起業しようと言ってくれたことが、起業のきっかけになりました。
——柏木さんがパソコンを盗まれて、開発も1からやり直しというタイミングで、なぜ牧野さんは一緒にやろうと言えたのですか。リスクもあったと思うのですが...。
牧野氏 : 勘みたいなものですね。方法はさておき、最初から一緒にやりたいという思いでずっと話を続けていました。当時はお互いに会社に勤めていて、新しく会社を作るとなると柏木は会社を辞めて恐らく自分で資金も出すので、もし事業が上手くいかなかったら、僕が前の会社に所属したままだとリスクがつり合いません。最終的には僕から「会社を作りませんか」と言いました。
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