人とテクノロジを信じて政治家・小林史明氏が挑む「日本のアップデート」:前編

別井貴志 (編集部)2018年09月18日 08時00分

 テクノロジの活用があたりまえの世の中になったいま、FinTechやedTech、RealEstateTechなどに代表される「xTech」と言われるように、さまざまな業界がテクノロジによってさらに大きく変革をしつつある。こうした時代を、政治家はどのようにとらえ、どんな未来を成そうとしているのか。「人やテクノロジの持つ可能性、そしてアイデアを自由に発揮するために、古く疲れてしまったルールを、アップデートしていこう」を標榜し、テクノロジ業界のキャリアを有する自由民主党・衆議院議員で総務大臣政務官、内閣府大臣政務官を務める小林史明氏に、政治家になるまでの道のりや想い、今後の展望などを聞いた。

自由民主党・衆議院議員で総務大臣政務官、内閣府大臣政務官を務める小林史明氏
自由民主党・衆議院議員で総務大臣政務官、内閣府大臣政務官を務める小林史明氏

――テクノロジ業界出身で政治家になったわけですが、そのルーツをさぐるために、まずはどのような環境で育ったのかを教えてもらえますか。

 テクノロジらしきものへの興味は幼稚園の頃だったと思います。通っている幼稚園のバスが着くのが駅前でした。駅ナカは広島だとだいたい「もみじ饅頭」のお店があって、自動で饅頭を焼く機械がありました。自動でモノができていくことがすごく面白かったんだと思います。毎日2時間くらい見ていたらしいです。

 実家は福山市が本社の漁網メーカーなんですが、私が中学生になった頃、新たに地ビールの製造、販売と合わせて、レストランも一緒に始めました。商品開発の参考に飲食店まわりをしたり、東京の地ビールフェアに母と一緒に行って売り場に出たり、家族みんなで商売をやっているなあ、と感じていました。飲んでくれた人には味の評判は良かったんですが、賞味期限が短かく、価格も高くて、最終的には商売として駄目になりました。

 子供ながらに強く感じたことを2つ覚えていて、まずは(ビールの)醸造って化学なので面白いなと。もう1つは原理や理論をちゃんと理解して、それを世の中に伝えることが大切なんだなということでした。地ビールは酵母を活かして作るので、美味しくても賞味期限が短く、価格も張ってしまいます。「ナショナルブランドの歴史ある安いビールより、地方のベンチャーが作った地ビールという新しい商材を少し高いけど飲んで下さい」っていう話なので、普通の工夫では勝負にならない。大人になって、あれは地ビールが売れなかったんじゃなくて、地ビールのほうがいいんだと人の意識を変えるってことができなかったんじゃないかな、と思いました。だから理系で原理をわかる人になって、そして何かを売るという仕事をしたいと決意した記憶があります。

――漁網メーカーは?

 いまは、8つ上の兄が継いでます。

――NTTドコモではどんな仕事をしてたのでしょう。

 法人営業と人事の採用担当で、5年半勤めました。ちょうど「おサイフケータイ」が始まった頃で、これはおもしろいなと。24時間365日手元にあるモノってそれまでなかったじゃないですか。ここに電話やメール、情報が届いて、しかも1人1人を識別できるからカスタマイズできる。人の生き方そのものというか、意識や行動にものすごく影響できるツールなんじゃないかって思ったんですね。

 入社すると、最初の半年間は研修があります。群馬支店と代々木のコールセンターと3カ月ずつお世話になりました。研修では、印象深い経験がいくつかあります。テレビ電話にすごくこだわるお客様がいて、理由を聞くと、自分の大切な人の目が不自由で、そういう人たちをたくさん知っており、その人たちが缶詰や食品を手に取っても中身がよくわからない。そういうときにテレビ電話をかけて「これ何?」って聞いてくるのに答えてあげたいんだということでした。通信やテクノロジっていいなと。

 あと、私の勤めていた群馬県の太田市はブラジル人の方がたくさんいらっしゃって、ポルトカル語の専用窓口があるぐらいでした。やはり言語に困ることはあって、モバイルに通訳機能を載せられればいいのになと。どこでも好きなところに住んで生活できる可能性を感じました。

 テクノロジや通信をどんどん世の中で活用していけば、そんな風にさまざまな障壁を越えられて、フェアな社会ができるのではないかと実感したのです。

――そこから、どうして政治の道を歩むことになったのでしょうか。

 「フェアな社会を作りたい」というすごく強い思いですかね。皆さん色々なビジネスのシーンで、過去の規制とか時代に合わない障壁で、理不尽な思いをされることってあると思うんですけど、私もNTTドコモでの法人営業時代にそんな経験があります。

 当時はソフトバンクやKDDIと顧客を取り合っていて、そのとき「FMC(Fixed and Mobile Convergence)」という固定電話と携帯電話の連携サービスが出始めたのですが、NTTドコモだけ固定電話との連携サービスをやってはいけないという規制があったのです。あとは、顧客から呼ばれたのならいいけど、NTTドコモと他のNTTグループが一緒に営業に行ってはいけないという規制もありました。NTTを分割したときのルールでした。せっかくよいテクノロジが提供できるのに、お客様にとっては意味がわからない。

 当然、ユーザーの本当に思っている需要に応えられないということが起きて、実際に顧客も奪われてしまいました。ルールのせいで顧客の要望に応えられないこともものすごく悔しかった。悔しすぎて、1人で車の中で泣いたこともありました(笑)。これが転換点でしたね。ルールに従って負けた自分にすごく憤ってましたし、上司の言うとおりにして、それで負けるってことも同時に味わったので、もう二度とこんな思いはしないと決めました。自分で仕事を決断していくという誓いを立てました。すると、営業成績がめちゃくちゃ良くなって、一時期日本で一番成績が良かったこともあったんです。「俺はもっと行くんだ!」と思っていました(笑)。

 その後人事の採用担当になりまして、毎年2万人くらいの学生さんに会ったんですが、採用した新人が入社数年でモチベーションがものすごく落ちたり、場合によっては退職したりしているので話を聞いてみると、これはいかんなと。教育全体が終身雇用時代の常識のままであることを知りました。「何になりたいか」ばかり問いかけて、人生で「何を成したいか」ということを考えさせる教育になっていない。

 もう昔のルールに縛られたこの状況を変えなくては、自分の生きるこれからの時代が、どんどん閉塞してしまう。営業時代から持ち続けていたアンフェアなルールへの憤りも手伝って、なんとかルールを一生守る側から、変える側になれないのかと考えるようになりました。昔作ったルールは必要なら変える、風通しを悪くしている壁は取り除く、そう構造的に変えようとしたら、これは国の法律を変えることができる国会議員になりたいと思いました。

 ありがたいことに、最初の選挙(2012年第46回衆議院選挙)で国政に出していただきました。国会議員になってからも気持ちは変わっていないです。過去の常識や時代に合わない規制は変える――そう思い続けて今日に至ります。

後編へ続く>

「ルールを一生守る側から、変える側になれないのかと考えるようになりました」と小林氏
「ルールを一生守る側から、変える側になれないのかと考えるようになりました」と小林氏

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