さらに「iPad」の存在もある。
12.9インチ「iPad Pro」は一枚岩のように潜んでいる。筆者はこのiPad Proで仕事ができるだろうか。そうは思わない。しかし、新しい9.7インチiPad Proは大いに気に入っている。今もこのモデルを使ってカフェで仕事をしているところだ。使用頻度はノートブックより高いだろう。しかし、まだMacの代わりにはなれない。筆者に関しては無理だ。自分のニーズには合っていない。
このiPadでは、ウェブ上で必要な作業ができない。ファイルやファイルダウンロードも扱えない。簡単なブログ作成に使うこともできない。iPadは進化しており、ソフトウェアアップデートのたびに少しずつ機能が増えている。あくまでも少しずつだが。とはいえ、アプリの読み込みは速く、スクリーンの画質も良い。だが、高価なキーボードケースを装着しても、トラックパッドやマウスのオプションはない。
Appleの現行の「ポータブルワークコンピュータ」を数えてみると、7つの選択肢がある。9.7インチと12.9インチのiPad Pro、12インチMacBook、11インチと13インチのMacBook Air、13インチと15インチのRetinaディスプレイ搭載MacBook Proだ。そのうえ、さまざまな構成が用意されている。一部のモデルにある機能が、他のモデルにはない。iPadでのLTE接続や、MacBook Airのバッテリ持続時間などだ。なぜこれほど複雑にする必要があるのか。
何より奇妙で、腹立たしいことがある。これらすべてのノートブックとタブレットの価格帯が、非常に近くなっていることだ。完全な構成の12.9インチiPad Proとアクセサリを購入すると1000ドルを超える。MacBook Airも、筆者が選ぶであろうストレージを搭載するモデルは、それに近い価格だ。12インチMacBookの価格は1299ドルから。13インチのRetinaディスプレイ搭載MacBook Proも同じだ。
筆者は13インチMacBook Proを選んだが、それが正しい選択だったのかどうか今でも分からない。
Appleに復帰したSteve Jobs氏は1998年、Macラインアップを(デスクトップも含めて)簡素化し、4種類の基本オプションに絞り込んだ。デスクトップとノートブックのそれぞれで「コンシューマー」モデルと「プロ」モデルを提供するというラインアップだ。当時、ノートブックのコンシューマーモデルは「iBook」、プロモデルは「PowerBook」だった。
製品を買って、それが完璧な選択肢、明白な選択肢だと納得できるのは、気持ちのいいことだ。筆者はコンシューマーとしての安心感を求めている。PCよりゲーム機の方が好きなのは、そのためだ。何かを手に入れたら、しばらくの間は安心したい。買い物に関して決定しなければならないことが多すぎて、気が狂いそうになる。どのグリルを選べばいいのか。どのヘッドフォンを装着すればいいのか。どのハードドライブを買えばいいのか。こういった選択のせいで感覚が麻痺してしまい、他のことが考えられなくなる。筆者は変わり者なのかもしれないし、他の多くの人と同じなのかもしれない。Appleが13インチ以下のコンピュータの選択肢をこれほど多く提供している理由は、簡単には理解できない。
12インチMacBookはiPadとMacBookの融合、あるいは重複という考えへの第一歩であるように思える。しかし、それは今でも別個で類似点の多い選択肢だ。そんな選択をしたいとは思わない。
この問題の答えは単純であるように思える。Retinaディスプレイを搭載するMacBook Airを作ればいい。皆が最初から求めていたものだ。あるいは、iPadをノートブックに限りなく近づけて、ようやく実用的で完全な代替品するのもいいだろう。
今のところ、どちらも完全には実現していない。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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