あの日から5年、企業が復興支援活動から学んだことは何か--Googleがシンポジウム - (page 2)

復旧・復興支援から得られたものは何か--3社のストーリー

  • パネルディスカッション「復旧復興支援活動が企業に何をもたらしたのか」

 「復旧復興支援活動が企業に何をもたらしたのか」と題したパネルディスカッションでは、三菱商事の中川剛之氏、ヤマトグループであるスワンの岡村正氏、ロート製薬の河崎保徳氏が登壇。震災発生直後の復旧支援のためにどのような取り組みを行ったのか、被災地の復興支援のために社内でどのような枠組み作りをしてきたのかなどについて紹介した。モデレータは「東北復興新聞」を発行する本間勇輝氏が務めた。

 ディスカッションは、「災害発生時にどのように意思決定を行い、プロジェクトを立ち上げるのか」「どのようなプロジェクトを設計すればいいのか」「本業とどのようなバランスを取っていくべきなのか」という3つのテーマで行われた。

  • スワンの岡村正氏

 「意思決定」というテーマについて岡村氏は、クロネコヤマトのドライバーが現場で意思決定してさまざまなプロジェクトが立ち上がったというエピソードを挙げ、そのような権限移譲や現場判断の追認ができた点について「ヤマト運輸の拠点は全国に4000カ所あるが、本社の対策本部で行う意思決定と現場、つまり全国の拠点で行う意思決定には違いがある。場合によっては、本社の意思決定が現場の足を引っ張ってしまうことも。阪神淡路大震災のときも、新潟中越地震のときもそうだった。そうした経験から、現地で災害に直面している当事者が、“今、何をすべきか”を一番わかっていると考え、現場での意思決定を推進してそれを追認するものとして経営理念や企業哲学といった原理・原則を社内で推進してきた」と説明。

 現場での意思決定を支えるものとして、ヤマト運輸が創業時から受け継いできた「全員参加型の経営」「顧客のために常に一番良い選択をする」「社会人として通用する判断とする」という企業哲学を挙げ、これを全国6万人のドライバーが徹底していることが、東日本大震災の際の臨機応変な現場判断につながったとまとめた。「ドライバーと顧客が相対する場面には上司も社長もいない。その瞬間にベストな選択をするという経験の積み重ねから、救援物資の運搬など震災時の臨機応変な意思決定が当然の結果として生まれた」(岡村氏)。

  • 三菱商事の中川剛之氏

 一方、プロジェクトの設計について、4年間で100億円の復興支援プロジェクトを任された中川氏は、本来から同社が行ってきたCSR活動を拡張するという形での寄付活動や奨学金、ボランティア活動などに加えて、被災地の事業者を対象に寄付ではなく「投融資」という方法によって、震災からの復興を支援してきたことを紹介した。

 中川氏は、「商社ということもあり、被災地からは産業や経済の復興のために具体的なアクションが起こせないかというニーズは多かった。被災しているが、支援する企業はあくまで営利団体なので、寄付という形ではなくお互い緊張感を持って行える枠組みがないかと考え、将来返済してもらう“投融資”という方法に辿り着いた」と説明。その結果、投融資をした資金を回収して次なる復興支援につなげるために、投融資先の企業をどのように再建していくのかを中長期的に考えて支援していくモチベーションになったのだという。寄付では一度資金を提供したら関係を持つ必要がないが、投融資という関係になることでお互いが継続的に関係を持ち、被災地に関心を持ち続けるという新たな支援の形を築くことができるようになったとした。

  • ロート製薬の河崎保徳氏

 本業とのバランスについては、ロート製薬の河崎氏がコメント。同社では、震災復興支援にあたって「自分たちが薬屋であることは忘れろ」という檄(げき)が社長から社員に飛ばされたという。河崎氏は、「大阪に本社のあるロート製薬は阪神・淡路大震災を経験した。社員の多くは神戸に住んでおり、社員の家族も亡くなった。このときの経験が、東日本大震災の復興支援に活きている」と語り、東日本大震災の発生直後には、同社の会長から「とにかく被災地に行ける社員は手を挙げてほしい」という呼びかけがあったのだという。このとき、多数の応募の中から社員を選抜するにあたって、「現場で臨機応変に行動できること」「社内に多くの仲間がおりサポートを受けられること」という基準を設け、河崎氏も6人のボランティアの1人として被災地に入ったのだそうだ。

 被災地では、10年とも15年とも言われる被災地の復興を担うのは子どもたちだとの考えのもと、「親を亡くした子どもを、大学や大学院を卒業するまで支援する奨学金を立ち上げろ。子どもたちに夢を諦めさせるな」というひとつのミッションが課せられていたという。しかし、実際には資金を用意するだけで奨学金が立ち上がるほど簡単なものではなく、我が子を都会に旅立たせる親の心のサポートなどさまざまな課題が生まれたのだという。河崎氏は、「こうした取り組みから、社員が人間的に大きく成長していることに気付かされた。“社会のために働こう”という一番大切な企業理念に直結することだった」と語り、現在では企業の将来を担う有望な若い人材を被災地の支援のために送り込み、被災地の復興に貢献するとともに、社内では人材育成の基盤として復興支援活動を位置づけているのだそうだ。

 この5年間で得られた知見を、将来の社会課題の解決のためにどのように活かしていくのか。この点について、岡村氏は「重要なのは、本業に徹底的にこだわり、その中から社会課題を解決するためのサポートを考えていくこと。そして浸透させることが難しい企業理念を社員一人ひとりに徹底させるために、権限移譲を進めて企業理念を拠り所に責任を持って業務に取り組む環境を作っていくことだ」とコメント。

 中川氏は「重要なのは、早く動くこと。そしてそれを継続すること。震災から5年が経ったが、いま求められる迅速性はあるし、これからコミットする必要がある継続性もある。これからもこの2点を徹底していきたい」と語り、河崎氏は「大規模な災害が発生して国や自治体が混乱している中で、困っている人のために最初に素早く動き手を差し伸べることができるのは、民間企業だ。そのためには企業が業種業界を超えて力を合わせていくことが重要だ」と締めくくった。

被災地の企業が語った、これからの復興

 今回のシンポジウムには、被災地に本拠を置く企業や団体が招かれ、「イノベーション東北」から誕生した製品や活動などが紹介された。本稿の最後として、宮城県女川町でかまぼこなどの加工食品を手掛ける高政で取締役社長室長を務め、女川町の復興にも尽力している高橋正樹氏の言葉を紹介したい。

高政の取締役社長室長である高橋正樹氏。女川町の復興に尽力している
高政の取締役社長室長である高橋正樹氏。女川町の復興に尽力している

 同社はイノベーション東北を通じて、楽天市場を通じたネット通販の売上向上を実現し、復興に貢献する原動力になったのだという。高橋氏は「これまで復興のために尽力してくださったGoogleに感謝を申し上げたい。復興のためにインターネットでつながって活動していく中で、ブレないものをひとつ持つことが重要だということを、この5年で学んだ」と述べた上で、これからの町の復興に向けた“本音”を語っている。

 「このGoogleの取り組み(イノベーション東北)は、将来的には“震災”の存在を忘れていっていいと思う。むしろ忘れようとしなければ、83%の建物がなくなって、11人に1人の人が命を落とした町をどうにかすることはできない。いつまでも、(悲しみを)引きずっていてはだめなんだ。それを一旦どこかに置いておいて、“楽しく”町づくりをしなければならない。笑わないと前に進めない。笑いながら町づくりをするから、楽しい町が生まれ、そこを訪れる人も楽しんでもらえる。住んでいる僕たちも楽しくなれる。

 身体を動かしているとき、頭の中では悲しみを忘れることができる。僕たちは震災を忘れたくて、これまで必死に(復興のために)動き回ってきた。ただ、震災を忘れても、そこから生まれた教訓だけは、しっかり残して次の災害に活用しなければならない。Googleは震災の記録と記憶と学びをアーカイブとして残してくれている。Googleは僕たちの思いとしっかり合致して、これまで未来に向けて一緒にやってくることができた。それに対しては心から感謝を言いたい」。

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