真田氏は、ビジネスモデルの失敗について「当時はスマホ時代がすぐ来ると思っていたが、2007年まで来る気配がなく時代を読み間違えた」と話す。しかし、会社を存続させるためには売上を上げなければならない。そこで事業の柱としたのは法人向けの受託開発だった。受託開発としての売上は堅実に上がるものの、受託開発はときにベンチャーとしての失敗に陥ることもあるという。
「受託開発を頑張れば確実に売上は上がるが、成長率は前年度110%程度しかならず、さらに受託で稼げば稼ぐほど受託から離れられなくなる。売上はあるが急激な成長になく、失敗もないこの状態に陥ることこそが最も大きな失敗。本当の失敗とは計画や想定を引いて、その差異が大きいと失敗となり、失敗を認識できるとやり方を変えようとなる。けれども、受託ばかりで堅実な成長は大きなブレがないから大きな失敗もなく、気がついたら時間だけを浪費していた」(真田氏)
そうした「茹でガエル」状態に危機感をもっていた真田氏。そんな真田氏に失敗を気づかせてくれたのは、周囲の経営者だったという。
「サイバードを上場させた当時は30代で若手のつもりだったが、気がついたら周囲の経営者たちが自分を追い越し始めた。その様子を見て自分も勝負しなければと思い、ソーシャルゲームがちょうど盛り上がったタイミングだったので受託開発から自社開発型、事業投資型に大転換をしようと決心した」(真田氏)
もちろん受託から事業会社への転換は、会社の組織文化にも大きな影響を及ぼす。「会社のミッションやビジョンの話、受託と事故投資のゲーム事業では思考回路がまったく違う。そこで受託ビジネスを売却し、ゲームに集中した」と真田氏。売上の軸だった事業を売却し一本化したことで転換できたという。
「現状維持でいいと思う気持ちは、全体から見たら退化している。しばらくは気づかないが、企業の成長も衰退もなだらかではなく、あるとき急激に落ちる。悪い時のスパイラルに落ちると一気に落ち始める。企業はつねに挑戦し続けることで初めて成長する。挑戦し続ける気持ちが経営者には必要」(真田氏)
2006年2月に東証マザーズに上場を果たしたドリコム。しかし、上場した翌年は経常損益で赤字を出した。当時は法人向けのブログシステムを展開していたドリコムだったが、個人向けのビジネスを展開しようと2007年4月に携帯公式サイト運営のジェイケンを13億円で買収。そのジェイケンをもとに銀行に対して9億2000万円の借り入れを行った。その際に、ドリコムの連結経常利益が2期連続で赤字となった場合、銀行に担保のジェイケン株が処分される、という財務制限条項が付けられた。
PL上の赤字とBS上の赤字というまさに「双子の赤字」をもとに経常損益を黒字化しビジネスモデルの展開を図らなければいけない状況だった。結果として2008年3月の決算期に黒字を達成し無事ビジネスとしての回復がなされたが、「ビジネスモデルの転換とはいえ、“双子の赤字”を抱えた状態での経営はあまりいいものではなく、一歩間違えば倒産の状態だった」と内藤氏は話す。
「20代で上場を果たしたこともあって、どこかで慢心していたかもしれないと考えた。そこでいろいろな人の話を聞こうと、大人の役員を中にいれようとした。2008年3月の決算前でも黒字になるかならないかがギリギリの状態で、資金の調達も平行して行っていた。調達とPLの黒字でなんとか危機は脱せたが、その経験からさまざまな人の意見を聞いたり、自分自身が経営者としてもっとお金を把握するため、簿記の勉強やコスト削減など使っているお金を把握したりするよう努めた」(内藤氏)
内藤氏は、自分たちがどこまでリスクをとって挑戦できるか、その取りうるリスクの許容量を見誤ってはいけないという。リスクの許容量を超えたリスクは倒産の危機を生み出す。倒産の危機を生み出さずに、できうる限りのリスクをとって挑戦する。そのバランスを知ることが経営者にとって必要だと話す。
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