B Dash Venturesが4月8~10日に開催している招待制イベント「B Dash Camp 2015 Spring in Fukuoka」で、グリー代表取締役会長兼社長の田中良和氏が、10周年を迎えた同社の軌跡を振り返った。
B Dash Ventures代表取締役社長の渡辺洋行氏との対談で、田中氏は冗談を交えながら、終始和やかな雰囲気で語った。一部抜粋して紹介する。
――創業時、資金繰り、人繰りなどで何が大変だったか。
この10年間、常々、うまくいっている会社なのか、うまくいっていない会社なのか、自分でよくわからなくなる(笑)。相対的にはうまくいっているはずだと思い、日々頑張っている。
創業するまでは楽天の一社員で、年収500万円くらいのエンジニアだった。部下を持ったことがなくて、面接もしたことがなかった。そのため、会社を作ったはいいが社員が全く集まらない状況だった。
その中でどのように集めたか。最初に採用した社員は、山岸(広太郎取締役副会長)さんの友人でエンジニアだと聞いていた人。面接時に、実はエンジニアの技術はなくて代わりに経理ができると言われたが、人がいないので採用。
2、3番目は大学生アルバイトの人。それも人がいないから採用。4番目は、会社に営業に来たサイボウズの社員。そのまま採用。「サイボウズは買うから、こっちについてきた方が良い」と言って口説いた。
そんな感じに手当たり次第に採用していかないと誰も入ってこなかった。選んでいただくことが精一杯だった。この時の経験があるので、今でも入社してくれることがとてもありがたく感じる。
友人、知り合い、元同僚を30~40人くらいグリーに入社させている自信がある。それほど誰も入ってこなかった。会社が上場した頃の社員100人のうち、僕の友人やその友人、社員の友人やその友人が6~7割を占めている形だった。これは自慢ではなくて、本当に誰も入ってこなかった。
僕は楽天の社員番号77番。まだ6人くらいの時に楽天のオフィスに遊びに行ったことがあるが、雑居ビルの一室で、めちゃくちゃ怪しい感じだった。三木谷(浩史会長兼社長)さんはハーバード大学を出ているのにカローラに乗っていて、こういう人に関わってはいけないと思った。
しかしその後、楽天が急成長したのをみて、会社の始まりはそんなものでも問題ないのかと思い、また三木谷さんもアルバイトの大学生を採用していたりしたので、会社はそうやって作っていくものなんだと気付かされた。
当時はキャッシュがなかったので、僕は給料400万円ほどで働いていた。つらいのは、入ってきていただく人にもあまり給料を支払えないこと。ある優秀なエンジニアは、大手の会社から転職してきて給料が半分くらいになったと聞いた。入社してもらえるようお願いするのが本当に心苦しかった。
キャッシュが入らない中、どうやって事業を回していたか。実は自分でキャッシングしていた。楽天時代(個人でSNS「GREE」を運営していた時)もサーバ費用が払えないので、キャッシングして、ボーナスで一括返済していた。
最近はゲームのネイティブシフトをしているが、これは僕からすると2回目の「シフト」。PCからフィーチャーフォンへのシフト(モバイルシフト)が以前あった。その時に苦しみを味わっている分、ネイティブシフトは大変だがイメージしやすい。
業態を転換するときに、その話をすると納得せずに退職しまう社員もいる。「これしかない」と確信を持って実行することが社長として問われる。前回は「シフトが上手くいかなかったら会社が潰れる」「シフトが上手くいったら存続して上手くいく」というPLを作り、約40人いた社員を一人ひとり会議室に呼んで説明して自分の思いを伝えた。
――2012年にはコンプガチャが問題になった。グリーに限らず、携帯電話のゲームはいかがなものかという社会的な風潮が広がった。
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