川島:僕は最初のベータ版が出てから数カ月後くらいです。私はGoogleに8年いるんですけれども、Google入社時にはウェブマスターというウェブデザインをする仕事をしていました。入社の面接をしたときに、最後に出てきた人間が、Googleのホリデーロゴを2006年までほとんど一人で描いていたデニス・ホワンで、彼が私の最初のマネージャーになったのです。
彼と一緒に働いて、チームをどんどん大きくしていって、アジア太平洋チームの立ち上げもやりまして、その後彼がチームを抜けて、Niantic Labsに入るんですね。私は、しばらく彼が抜けたあとのチームのマネジメントをしていたんですけれども、彼からはずっと誘われていたんです。一緒にやらないか、一緒にやらないかと。
ただ、私は当時やることがあったので、それをやっていたんですけれども、私の中でも彼がずっと誘ってくれるので、私としても色々考えて、ジョン・ハンケとも話をしたりして。ジョン・ハンケが言ったことで印象に残っているのは、「世界を変えるためにはどうしたらいいか」ということです。
みんな言うじゃないですか。「世界を変えるんだ!」みたいなことを。だけど、世界を変えるって、実は言葉に比べて非常に曖昧なことで、すごく難しいことなんですよね。たとえば、少子化問題1つにしても解決するのはすごく難しいですし、高齢化にしてもそうだし、いろいろな社会問題があると思うんですけど、解決するのが本当に難しい問題というのがあります。
で、それを解決するためにどうすればいいかというのを考えていると、やっぱり答えに詰まります。ジョン・ハンケはですね、そこをバッサリと断ち切ってくれた。「私は、世界をよくするためには、人が外に出ればいいと思う。もっと外に出て、動いて、人同士でつながったり、身の回りに何があるのかをよく知ること。まず、それが行われることで、世界は変わるんだ」と。
僕も、「ああなるほどな」と。風が吹けば桶屋が儲かるという話をよくしますけれども、一見してそこに関連性がないように見えることが、実はすごく大事なことで、桶屋が儲からないときに桶屋に投資すること、桶屋に融資するようなことを日本はやっているような気がします。でもそれは、一時的なしのぎにしかならなくって、本来本当に大事なのは、もしかしたら「風を吹かす」ということなのかもしれないと。ジョン・ハンケが言っているのは、一見関係がないように見えるかもしれないけれど、世界を良くするために必要なのは、人が外に出ることだと。
これはどんなことになるのか見てみたい。そして、彼のそういう考え方に共鳴したことが、Niantic Labsに加わることを決める大きな理由の一つになりました。
――サービスが開始されてから2年強。ベータ版の頃に参加したということで、当初、この現在のざまざまなIngressのムーブメントはどこまで想定していたのでしょう。コントロールフィールドでアートを描いたり、自治体も巻き込んだ町おこし的な動きが活発に出てきたり…さまざまなムーブメントが起こっています。
川島:予想を遥かに超えてます。コントロールフィールドを使って何かの図形を作るとかは有り得るだろうなとは思っていました。だけど、エージェント自身が作り上げたものというのは、それを遥かに超えるスケールで、それこそ国境を越えた協力。あるいは国境を越えるどころか、30カ国で協力するなど、そういうようなフィールドワークであったり、作戦だったりということが実現されるようになるとは、さすがに思っていなかったですね。
――当初はどのようなムーブメントを想定していて、そのうえでどうやってルールや設定を決めたのでしょう。レベル8以降はメダルの取得が鍵を握ったり、1つのポータルは5分間隔で4回ハックしたら4時間待たないと再度ハックできないなど……。
川島:最初期のプロトタイプのゲームデザインは、やっぱりゲーム好きなジョン・ハンケ自身が自分で考えたところがありますね。非常に基礎的なところですね。
たとえば、ポータルの回りには8つのレゾネーターが必要で、そのレゾネーターにはレベルがあり、ポータルにもレベルがあり、そこに数の制限があって、レベルは8までで、ポータルとポータルをリンクでつないで陣を作ると。非常にプリミティブなところというか、今もシンプルなところが一番重要にはなっていますが、そこはジョン・ハンケ自身がデザインしたところなんですね。
彼がどこまで想定していたのかは僕もわからないんですが、ただ、彼自身は自分が身の回りを見て「もっと光が当てられるべきなのではないか、輝くべきなんじゃないか」という街の歴史や芸術作品に、人を導きたかったのだと思います。で、それをGoogle Mapsとうまく組み合わせることで、ゲームにするための最初の小さなきっかけを作りました。そして、彼自身が最初のプログラムを書いています。
メダルの実装などは後になってからのことなんですけれども、そこから少しずつ、たとえば「1回ポータルをハックしたら、そこから次のポータルへ動いてほしい」ということで、すぐには再度ハックできないようにしたりとか。少しずつそれが広がっていって、今の形につながるステップがありました。
現在のさまざまなムーブメントを想定していたかというと、回答は「完全には想定していなかった」ということだと思います。ユーザーの声を聞きながら、またユーザーがどのように反応しているのかを見ながら、手探りの状況で進めてきたというのが正直なところです。
最初は、ポータルの数も世界中で数千~数万個しかなかったんですよ。最初のポータルというのはGoogle Mapsに登録されているような、Panoramio(パノラミオ、Googleが運営する地域情報が付加された写真共有サービス)に登録されているような情報を使って。しかし、世界中で数千~数万個というのは非常に少ないです。ですから東京も今のようなポータルが無数にあるような姿ではなく、日本にポータルなんて、有名な史跡くらいしかありませんでした。
そこに、エージェント自身がベータ版の時から少しずつ少しずつ申請して、今のような姿になっていったんですよね。それが、これだけのスケールになって、まったく新しいゲームになるような状況に進化したのは、想像していなかったですし、そもそも人が外に出てくれるかどうかということにすら、ジョン・ハンケ自身も、半信半疑でいたというところですね。
――もう1つの観点としてあるのは、Ingressはすごくゆるいコミュケーションだと思うんです。自分のためではあるんだけれど、自分がオーナーではないポータルにMOD(ポータルを守るアイテム)を設置したり、ポータルをレベル8にするためには8人がレベル8のレゾネーターを挿したりしなければならないなど、仲間ではなくても、知っている人ではなくても、意識しようがしまいが、結局は自然と人に協力する形があると思います。それは無意識に奉仕しているという側面もあり、これを「愛」と表現する人もいます。
また、「COMM」(チャットと通知機能)も公開の場でのコミュニケーションです。それこそTwitterやFacebookなどの濃いコミュニケーションが全盛の時代に、このゆるいコミュニケーションの設計をどこまで考えていたのかも気になります。
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