プログラマ経験で見い出した娯楽のあり方と新たな挑戦--探偵オペラ ミルキィホームズ

 ゲームやアニメなどメディアミックス展開されているキャラクターコンテンツ。その中でも、5年という長い期間で展開されているのがブシロードの「探偵オペラ ミルキィホームズ」だ。

  • ミルキィホームズはシャーロック・シェリンフォード(シャロ)(中央下のピンクの服)、譲崎ネロ(中央の黄色い服)、エルキュール・バートン(右側の緑色の服)、コーデリア・グラウカ(左上の青い服)の4人。左側の男性はゲーム等で登場する小林オペラ、右上にいるのは、ミルキィホームズと敵対する怪盗の組織「怪盗帝国」のアルセーヌ

 トイズと呼ばれる特殊な能力を持つ探偵や怪盗が活躍する架空の都市の偵都ヨコハマを舞台に、探偵を目指す4人の少女による「ミルキィホームズ」が活躍する物語がベース。現在では多様なコンテンツや事業展開を行っている同社が、初めてオリジナルコンテンツを立ち上げたプロジェクトでもある。

 2009年10月にプロジェクトを発表。2010年12月に発売されたPSP用ゲームソフト「探偵オペラ ミルキィホームズ」が原作として位置づけられているが、プロジェクト発表直後からキャラクター雑誌やコミックでの紙面展開のほか、メインキャスト陣による声優ユニット「ミルキィホームズ」を結成し、CDリリースや各種イベント、ラジオ番組やライブ活動を実施。またテレビアニメ(第1期)もゲームに先駆けて2010年10月から放送を開始した。

 その後ゲームでは続編となる「探偵オペラ ミルキィホームズ2」が発売され、テレビアニメはいくつかの短編作品や第2期となる「探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕」、第3期にあたる「ふたりはミルキィホームズ」を制作。ユニット活動では2012年に日本武道館で単独ライブを実施したほか、定期的にライブツアーを開催するなど多様な展開を見せている。

 このミルキィホームズプロジェクトを指揮するのが、統括プロデューサーの中村伸行氏。中村氏はもともと学生時代からプログラミングを愛好し、ゲームメーカーにプログラマとして従事していたという。そんな中村氏にプログラマ経験で得たものとミルキィホームズを通じたエンタメらしさの両面で話を聞いた。

プログラマ経験で得た、物事を追求する気質とUIの重要性

  • ブシロード ミルキィホームズプロジェクト統括プロデューサーの中村伸行氏

 中村氏がプログラミングに興味を持ったきっかけは、ボードゲームを愛好していた学生時代に友人がMSXを所有しており、専門雑誌を見ながら交代交代でプログラムを打ち込んでいたことだという。そこでプログラミングすること、完成させて動かすことの面白さ、ゲームを作り出すことの可能性を感じたという。「必死になってお金をためてPC9821を購入して。学生時代はプログラミングや、創作小説の同人誌などを作ることに明け暮れてました。プログラムの勉強は基本的に専門雑誌や本、後にネットで見るといった形での独学でした」(中村氏)

 もっとも、趣味はあくまでも趣味として続ける方向で考え、大学では電子工学を学び、就職も一旦はインフラ系の会社で内定が決まっていたという。しかしながら、プログラミングを生かした仕事がしたいと、決まっていた内定を断り再度就職活動を実施。最終的にゲームメーカーのテクモ(現在のコーエーテクモゲームス)に入社。研修を経て、対戦格闘ゲーム「デッドオアアライブ」シリーズやアクションゲーム「NINJA GAIDEN」シリーズで知られる開発チームの「Team NINJA」に在籍した。

 2004年にXbox用ソフトとして発売された「NINJA GAIDEN」の開発でイベントスクリプトを担当するところからはじまり、2005年に発売されたXbox 360用ソフト「デッド オア アライブ4」からは、本格的にプログラマとして参加。そのなかでもXbox 360向けのサウンドプログラムを中心に担当していたという。中村氏自身がそれまで音楽や音について関わっていたことはなかったが、当時はゲーム機でも5.1チャンネルの黎明(れいめい)期であり、音の表現に関して追求できた時期とあって、サウンドプログラマとしての仕事はとてもやりがいがあったと振り返る。

 「当時のサウンドの考え方はBGMは豪華にしても、SEや環境音はタイミングに合わせて鳴っていればいいというような状態で、それゆえに社内でもサウンドプログラマという存在も確立されていなかった。でもゲームハードの進化によって新たな表現方法を思いついて、それを実装していくという、非常にエキサイティングな時代。今では普通に行われているであろう距離やコリジョン(衝突)計算をしてリアルタイムで音を変化させることなど、映画では当たり前にしていたミックス作業をリアルタイムで処理し、ゲーム世界において表現豊かかつ魅力的にできるかを突き詰められる時代でした。それを自ら先陣を切って取り組めたのも楽しかったですし、サウンドのロジックは基本的にみんな同じなので、自分のプログラムがどんどん改造されて、社内のライブラリにも多く使われました。本当にこだわればこだわるほどリアルに近づいていける時代でしたし、みんなが映画的なリアルさを求めていて、しかもそのころは海外のプログラマの質が上がってきたころ。国内のプログラマが海外に負けたくないと応戦していた時代でした。その開発者の熱量がユーザーにも伝わって、ゲーム業界としても盛り上がっていた時代なのかなと思います」(中村氏)

 2006年に発売した「デッド オア アライブ エクストリーム2」や、2008年に発売した「NINJA GAIDEN II」などを担当した後にテクモを離れるのだが、それまでのプログラマ経験で得たものについて聞くと「どうやったらできるのかを追求すること」と「ユーザーインターフェイス(UI)の重要性」と答えた。

 「工数的な管理をするというのもありますけど、できないということが気にくわない。やれなくていいという考え方になりにくいです。これは学んだというよりもプログラマ気質ですね。UIについてはTeam NINJA時代の上司から、仮にゲームの面白さをテストするとして、UIが悪いというのはマイナス50点からテストを受けるようなものだと。ゲームが面白いというのは当然として、コンテンツを0点の位置からスタートさせるのが大前提だと言われたんです。それはコンテンツを作る上でも、ユーザーが触れるであろう最前面のところは最大限に注意を払うということを意識しています」(中村氏)

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