卵型スピーカや横幅149mmの単品コンポなど、今までにない新しいオーディオを生み出しているブランド「Olasonic」。手がける東和電子はオーディオ、ビジュアル機器の設計などを事業の柱としている企業だ。B2B事業に長年取り組んできた同社が、なぜ自社ブランドのオーディオを始めたのか、据え置き型CDプレーヤーで世界最小となる「NANOCOMPO」は、どうやって生み出されたのかを代表取締役社長の山本喜則氏に聞いた。
私自身東和電子に入社したのが2008年で、当時は業績も好調でした。しかし直後にリーマンショックが起きて、設計の請負が急に少なくなりました。社内に設計者はいるけれど、設計の依頼が来ない。どうしようかと考えた時に、だったら自社ブランドを作ろうと考えました。
入社した当時から自社ブランドのオーディオを作りたいと思っていましたが、設計者がいないと作れないので「そのうち……」程度に考えていました。しかしリーマンショックによって、設計者の人手が空いている状態ができ、それならばと自社ブランドの開発をスタートさせたのです。そう考えるとリーマンショック後の景気悪化が起きなければ、Olasonicの立ち上げは数年後になっていたかもしれません。
確かにそうなんです。私自身AVメーカーに数十年務めていましたから、最初は漠然とできると思っていましたが、実際にやってみたらすごく大変なんですね(笑)。AV製品のことなら何でも知っていると思っていたんですが、意外と知らなかったんだと思い知らされました。
まず海外の工場で作った製品をどうやって日本に持ってくればいいのか、輸送はどこの会社に頼むかから始まって、取り扱い説明書はどうやって作ればいいのかなど……、わからないことだらけでした。カタログも作らなければならないし、お客様相談センターも設置しないといけない。こういったことを一つ一つクリアしながらTW-S7の発売にこぎつけたのです。
AVメーカーに勤務していた当時の知人に尋ねたり、その知人から詳しい人を紹介してもらったりしながら、進めていきました。販路は、商品を持って販売店を1店舗ずつ回ることで、取り扱い店舗を増やしました。
当時、ブランド名はもちろん、東和電子という会社名すら知られていなかったのですが、第1弾モデル「TW-S7」は、音を聴いていただくと、その場で商談が決まる「商品力の強さ」を持っていました。そういう意味では、商談は一度で終わりましたから、順調といえば順調だったのかもしれません。
正直、社内にコンシューマー製品を販売するための知識を持った人がいなかったからできたことだと思います。あの頃は社内で自社ブランドを作ることに反対した人はだれもいなかった。今思えばその大変さがわからなかったからこそ、できたのだと思います。怖いもの知らずでしたから(笑)。
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