Facebookのビジョンが実現すれば、Timelineは平凡な人々から非凡な人々まで、古今東西のあらゆる人生を網羅したカタログとなるだろう。友達の人生における基点を確認したり、人々が年を重ねてゆく様子を眺めたり、昔のダンスパーティーや結婚式の写真、そして子供の誕生を見たりすることができる。
Facebook共同創業者であるMark Zuckerberg氏の言葉を借りれば、「ここにすべてが、あなたの生涯がある」のだという。
そして、自分の生涯がネット上で簡単にスクロール可能になるというアイデアに背筋がぞっとしているならどうだろうか。率直に言って、Zuckerberg氏があなたの言葉を信じなくても大目に見るべきだ。
Facebookは、オンラインでの情報共有は不快だと考える人々の主張を無視することで世界を変革する力となった。最も有名な例として、Facebook上のアクティビティを友達に公開するニュースフィードが2006年に導入された際、ユーザーからは批判の声が上がり、「ぞっとする」「侵略的」「ソーシャルなストーカー行為」と評された。この騒動によって、Zuckerberg氏は非を認める投稿を余儀なくされた。
そして現在、ニュースフィードは日々の生活の一部として溶け込んでおり、Facebookが近況アップデートの表示方法を変更しただけで、ぞっとするようなメッセージを筆者の母親でさえ投稿している。
確かに、Facebookはプライバシー設定の実装と単純化(対応が遅く、時に場当たり的であっても)を行うことで年月とともに一部の懸念を和らげてきた。だが、勘違いしてはいけない。Facebookは、ユーザーは実際には自分が考えている以上に他者との共有を望んでいると考えている。5年前には気味が悪いとみられていたものは、今や日常的のように見える。
そして2011年10月、Zuckerberg氏は次のように主張してそのハードルを上げている。ユーザーは心からFacebook上に自分の生涯を載せたがっている、と。自分のいろいろな髪型や人生における重要な出来事をスクロールして見る楽しさを覚えたとき、当初感じた不快感を乗り越えるだろう、と。そして、大衆が実際に共有したがっていることを過大評価して破たんしたソーシャルネットワークはない、と。
Zuckerberg氏は正しいのだろうか。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
「もったいない」という気持ちを原動力に
地場企業とともに拓く食の未来
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
地味ながら負荷の高い議事録作成作業に衝撃
使って納得「自動議事録作成マシン」の実力