logo

物事を突き詰めて考え抜ける人こそが、真の信頼を勝ち取れる(第6回:伊藤昇)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 1999年はじめ、日本アイ・ビー・エム(日本IBM)社内で1つのプロジェクトが立ち上がった。その名は「Net Gen Task」(ネットジェン)。

 IT業界で次々と誕生する急成長のベンチャー企業は、年々IT投資を拡大している。そこにIBMのビジネスチャンスを見つけると同時に、協業のビジネスを生み出すことを目的として集められた5人の社員。この中でひと際目立つ存在だったのが、2007年10月に日本IBMの最年少理事になった伊藤昇氏である。

 ネットジェン当時は“IBMの変わり種”というイメージが強かった伊藤氏だが、取材を通じ、実はごく自然にIBMの社訓でもある「think!」を実行している、代表的なIBMマンであることが見えてきた。

※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。

「芸能界入りは無理。違う人生を歩みなさい」

--学生時代はサッカーと音楽に夢中だったと聞いていますが、夢中になったきっかけは何だったのですか?

伊藤氏 伊藤昇(いとう・のぼる):1967年4月22日生まれ。東京都出身。慶応大学法学部政治学科卒業。1990年日本IBM入社後、中堅企業向け新規開拓営業、PCサーバー及びeビジネスソリューション営業、Netgen営業、マーケティング、SWパートナー事業などを経て2007年10月より同社理事。

 音楽の影響は両親からですね。父親が某テレビの音楽番組のプロデューサーだったこともあって、家に芸能関係の方々が遊びに来たり、人気アーティストのライブを観に行ったり、レコーディングの現場を見学させてもらったりしました。また、高校時代などはフュージョンが流行っていて、高中正義やカシオペア、サンタナを聞き出したことがきっかけでバンド活動を始めたわけです。

--それだけ有名人が家に出入りしていると、子供の頃って勘違いをして、まるで自分が有名人になったかのように学校で偉そうに振る舞ってしまう子供っているじゃないですか。伊藤さんは小学校時代どんな子供でした?

 たまにそういう勘違いをしてしまう子供っていますよね。でも僕は幸いにも小さい頃に「君は芸能人向きじゃないね。残念だけどその顔ではどんなに頑張っても無理だから、違う人生を歩みなさい」と家に遊びに来ていた業界の人達に駄目出しをされましたから、勘違いも何もありませんでした。(笑)

 背が小さいというのが昔からコンプレックスでしたし、体が弱かったんですよ。朝礼の最中に貧血で倒れるような弱い子供っているでしょう?まさにそういう激弱な子だったんです。

--それはかなり弱い子ですね(笑)それではいじめとかがあったのでは?

 いや、体は強くなかったのですが、学業一番で運動もそこそこできたから、いじめというのはなかったですね。ただ、要領が良かったこともあって、ことあるごとに先生が僕をひいきするものだから、ねたむ人達が周りに出てきて、いじめではないですけれど、距離を置かれるようになってしまったんですよね。

 そうすると問題解決をしなければならないから、子供ながらに必死で分析したわけです。その結果、「先生が自分を無闇にひいきするのが悪い」という結論に至り、先生にそのことを訴えました。今考えると生意気な小学生ですけどね(笑)

--「芸能界入りは無理」と忠告を受けつつも、大学時代はバンド活動を盛んに行われたわけですが、それでもやはり芸能界を目指さずに日本IBMを選んだのは何故でしょうか?

 人生の先輩である某有名アーティストに相談をした時に、「大企業で働くことも良い経験になるし、音楽はずっとできる」とアドバイスをもらったんです。どうしようかとも思いましたが、「目指している音楽の道の先輩がそう言うなら…」と決断しました。

--なるほど。そういう経緯でIBMに入り、最初はどのような仕事をされたのでしょうか?

 入社したのが1990年。最初は立川の営業所に配属されて、東京23区以外の都下の中小企業を担当しました。営業所自体は途中、立川から府中に移りましたが、西東京エリアの新規営業としては6年間活動しました。

 印象深かったのは社会人初日、営業所長に「君はなめた顔しているね。仕事はできるだろうけど、ぬるま湯に浸かっていると結局できない人間になるよ」と言われたんです。その時の営業所長は、日本IBMの中でも伝説の営業マンだったんですが、まだ音楽の世界に未練があったことを見透かされたんですかね。このことはその後の仕事をする上で、どこかいい意味で心に残っていったと思います。

-PR-企画特集