ボッドキャストの第1の問題は、オンライン動画やブログと競合するということだ。動画はよりクールで、より短く、オンデマンドで消費でき、五感の複数を満たす。一方、ポッドキャストはよく傾聴する必要がある。多くのポッドキャストの中身は、聴取者が集中して追いかけなければならない議論だ。結果として、ポッドキャストは仕事をしながらでも楽める音楽コンテンツにも勝てない。
ブログもまた、多くの人が読むのに時間を費やしているメディアであり、脅威だ。ブログとポッドキャストでは、必要な集中力に差がある。ブログはとばし読みをすることができるが、ポッドキャストを聞き流しすることは難しい。われわれはウェブページを読むことには慣れているが、視覚的な情報なしに長い議論を聞くことは、ウェブとはまた違う技能を必要とする。多くのラジオコンテンツは音楽やニュースであり、ポッドキャストのコンテンツ自体やフォーマットも、慣れるのを難しくしている。
集中を必要とするポッドキャストにはもう1つ問題がある。いつ聞けばいいのだろうか。もっとも自然なのは、通勤時にラジオの代わりに聞くというものだ。障害となるのはコンテンツ制作者がコンテンツを最新のものに保っておかなくてはならないことだが、更新は自動的に行われるのでこれは大きな問題ではない。このため、通勤や旅行の間にポッドキャストを聞くという方法はうまくいくように思える。しかし、これはむしろ文脈を限った短い時間でしかなく、ポッドキャストが力を発揮するには十分に長い時間とは言えないかもしれない。コンテンツの問題に戻れば、ポッドキャストは帰宅時にはなじまないかもしれない。これから家に帰ろうというときに、洗練された議論を聞きたいと思うだろうか。
どんな新しいメディアも、収益化の方法を見つける必要がある。ポッドキャストは、多くの人がコンテンツにお金を払うとは考えにくいことから、広告収入に頼らざるを得ない。難しいのは、リーチを計測することだ。もちろん、番組の消費はRSSの登録から追跡できるという議論も可能だが、RSSによる計測は正確性に欠けるものであり、さらに言えば、ウェブ広告を指向しがちな広告主にはあまり魅力的に映らないないかもしれない。
ポッドキャスト自体にどう広告を挿入するかということも問題だ。ポッドキャストの聴取者は洗練された初期導入者であり、もし内容とは関係のない広告が多く入っていれば、すぐに邪魔だと思うだろう。これまでにうまく働いたと思われるモデルはスポンサーシップだけだが、この方法で作り出せる資金には限りがある。
問題として最後に挙げる大手メディア企業との競合は、ポッドキャスティングをノックダウンしてしまうかもしれない。大手メディア企業は、音声コンテンツをポッドキャストに再利用することは安価で簡単だということをすぐに学んだ。多くのメディア企業がこれを行っている。例えばNPR、CNN、National Geographicがコンテンツをポッドキャストで提供している。iTunesで人気のあるものを見てみれば、独立系で制作されているポッドキャストは非常に少なく、ダウンロードページのトップはプロが作ったもので占められている。
ポッドキャストは勢いを増しているようには見えず、むしろ実際には減速している。動画やブログ、大手メディアと厳しい競争の中では、人々にポッドキャスティングだけを使いたいと思わせる要素は少なく、はっきりした収益化の方法もない。しかし、これはポッドキャストがこの先も今の状態にとどまることを意味しているわけではない。
われわれがポッドキャスティング革命から得た重要なことの1つに、選択肢がある。メディア企業はこちらの条件に合わせて、コンテンツを小さな単位にして提供することを強いられた。今では、これをわれわれが好むやりかたで、好きなときに消費することができる。
そして、ポッドキャスティングがユーザー生成動画ほどは一般的にならないとしても、Jason Calacanis、Amber Mac、そしてもちろんJohn Furrierなどの優れたポッドキャスト提供者が登場したことは、幸運だったと言えるだろう。ポッドキャスティングで次に何が起こるとしても、これまでに起こったことが既に重要なことだ。大きくはないかもしれないが、意味のある形で。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
パナソニックのV2H蓄電システムで創る
エコなのに快適な未来の住宅環境
OMO戦略や小売DXの実現へ
顧客満足度を高めるデータ活用5つの打ち手
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス