隅田川沿いに建つ、中央部に巨大な穴の空いた“凱旋門型” 20階建て複合ビル。ビックタウンは、手狭になった同ビルロビーフロアから、より広い1階へと移転したばかりだ。
2003年の創設以降、eコマースに特化したインターネット広告販売やコンサルティング、モバイルメディア運営などの分野で目覚ましい発展を遂げ、来期上場も視野に入れる同社。現在、月商は2億円に達する。事業部門と規模の拡張に次ぐ拡張によって、わずか4年の間に3度のオフィス移転を余儀なくされた。
「次のオフィスは、せめて2年はもたせたい」と冗談めかして語るのが、同社の発展をパワフルに牽引してきた、近藤勝俊代表取締役社長CEOである。
同氏は1971年、川崎市生まれ。父親の仕事の関係で、小学校から高校卒業までの8年間をロンドンで過ごした。帰国して日本の大学を卒業したのち、準大手証券会社に入社。その動機は明快だ。
「高校生のときに『ウォール街』(1987年)という映画を観た瞬間から、将来は証券会社に入ろうと決めました。白状すると、単に金持ちになりたかったんです」
入社後、同氏はすぐに頭角を現し、同期の中でトップの営業成績を残す。全店をあわせても、1000人中15位の好成績だった。しかし、挫折は意外に早くやってきた。
「完全に天狗の状態で、テレマーケティングのベンチャー企業に転職したんです。でも、それまで個人営業の経験しかなかったので、法人営業が全然うまくいかない。自信をなくしました」
打ちひしがれて証券業界に戻ったものの、当時はちょうどネットバブルが終わった時期。客からは責められ続け、またも転職を後悔するはめに。結局、わずか1年で退社した。2001年のことだ。
心機一転、同氏はIT企業の門を叩く。入社したのは仮想モール事業で急成長中の楽天。新規の営業部隊に配属され、ECコンサルティングを担当する。もちろん、インターネットショップの知識はゼロ。
顧客とのやりとりを通して、試行錯誤しながらノウハウを構築した。必死にもがくうち、「新人の集まり」「その他(の雑務をこなす)事業部」と周囲から揶揄された所属事業部が、いつの間にか楽天全体の広告の3分の2を売り上げるまでになっていた。
「広告だけでなく、メールマガジンの書き方、商品ページの作り方など、クライアントがあれこれと試して失敗した経験が、ノウハウとして蓄積されたんです。私の場合、広告を大量に販売したので、当初は失敗率が非常に高かったのですが、それでめげなかったのが幸いし、最終的には、失敗を重ねた顧客ほど伸びてくれました」
しかし、一人で粗利5億円を稼いでも、雇われの身でそれ相応の給料を見込むことは難しい。起業精神に富み、自他ともに認める実力を身につけた同氏が独立を視野に入れ始めるようになったのは、当然の流れだった。
一方、楽天市場を見渡すと、流通額全体は右肩上がりであるものの、店舗数の増加によって、個別の店舗環境は厳しくなるばかり。それだけに、楽天から出て自分たちだけで店舗を運営したい、というニーズは増大していた。しかも当時、eコマースを専門に本格的なコンサルティングができるのは自分しかいないという近藤氏の自負もあった。
そうした状況を踏まえ、同氏は独立を決意する。顧客の一人で、楽天市場に出店していた店舗のオーナー、白石伸一氏(現監査役)と、フリーのシステムエンジニア、石川丈氏(現取締役副社長COO)の3人で、2003年5月、有限会社ビックタウンを設立。楽天時代に培った人脈とノウハウをベースに、モバイルインターネットを中心とした広告展開など、eコマース全般をトータルでサポートするコンサルティング事業を開始した。
楽天という大看板がなくなり、苦労もあっただろう、との問いに、近藤氏はさらりと答えた。
「正直いって、起業当初から経営はかなり楽でした。というのも、楽天時代のお客様が、私についてきてくれたからです。自信にも繋がりましたし、今でもお客様には非常に感謝しています」
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