サイボウズ創業者の高須賀氏が見果てぬ世界一への夢:前編 - (page 3)

構成:別井貴志(編集部)2006年09月04日 13時30分

小池:もうちょっと具体的にいうとどういうことでしょう。

高須賀:まあ、今現在やろうとしているビジネスもそうなんですが、僕にはある程度バラ色の未来が見えているんですね。SFの世界とまでは言いませんが、こうなるかもしれないという成功イメージが自分の中では明確にあるんです。でも、こうなったらこんなにエキサイティングだということを坦々とうまい具合には語れないんです。それでも、そのイメージを共有できないと、絶対に成功確率は下がるし。

小池:おっしゃるとおり!

高須賀:喜びもそうでもないなと。苦難がありますから、明確なイメージがあるからこそ現実化するというか、具現化していくと。そこで、これは多分毎回コンセンサス、説明を求められるだろうなと。そして、逆にこれはすごい危機だと。僕が新しいオポチュニティを、もう手の中にあると思っているものを、毎回のらりくらり説明してイメージを共有しながらやっていたら、手からこぼれまくって、これはかなわんなと思って。確かに自分でゼロから始めるのはすごくリスクがありますが、サラリーマンでやるのと天秤にかけて、絶対に自分でやったほうが成功確率が高まると思って辞めたんです。

小池:なるほどね。今のポイントは、僕が投資をするかどうかというところのデシジョンの中で、1つ重きを置いている点と一緒ですね。創業者あるいはアイデアを出した人が、そのプランにどれだけ自己暗示にかかって惚れ込んでいるか、熱狂を持ってやろうとしているかというポイントなんだけど。

高須賀:そのとおり! もうひざを打つんですよ。「ここやったか!」と。まあ実現できるかどうかは別ですよ。でも、その時点ではもう既に見えているんですよね。で、それをどれだけ語っても共有できないんです。一部の人としか。

小池:それで「いいよ」と言ったけど、いいよと言った会社側の意図はその熱狂を共有して、「これはいけるぞ」という意味で「いいよ」と言ったわけじゃなくて、なんかこう制度の中で「これだったらいいかな」という意味で、「やらせてみたら」ぐらいだったということですか。

高須賀:そう! そうなんです。ある程度僕もがんがんやったし、「若いやつはいろいろ経験させてやったほうがええやろ」みたいな雰囲気ですね。しかも、当時数千万円ぐらいの投資だったんで、松下にとっては小さい投資だったんです。そんなものを、だいたい役員会に持ってくること自体がどうなんだ……みたいな。

小池:でもまだね、その頃は、起業するとか、IPOとかという時代じゃなかったですよね。だから、例えば自分で会社の株式を持ってそれを上場させて……みたいなことよりは、やっぱり自分のビジョンで、自らデシジョンして前に進んでいきたいというようなことの方が強かったんですか。

高須賀宣氏

高須賀:厳密に言うとちょっと違っていて、僕はイメージしている未来の姿、その事業がうまくいっている姿が、実現さえすればどのような道を通るバスでもそれを選択して乗ります。ただ、それを成し遂げる到達点にもっとも近道を通るパスがあれば、僕はナンバー2であろうが、事業部長であろうが、そこの一部署を任されようが別に何でも構わないんです。

小池:なるほど。自分が所有して、自分の会社としてやりたいとかそういうことはなかったわけですね。

高須賀:そういう欲はまったくなかったですね。

小池:とにかく、自分のやりたいことが実現できる最適な道であれば良かったと。

高須賀:はい。そして実現したときには、それに見合うリターンは当然あるというふうに、思っていました。社内ベンチャーでも資金の80%は会社に出してもらいましたけど、20%は自分たちで出していて。

小池:その時に株式を公開してキャピタルゲインを得られるという制度はあったんですか。

高須賀:正当なリターンとして、IPOをして当然キャピタルゲインはわれわれも得るとか、そういうふうに自分自身は思っていました。当時、マーク・アンドリューセンがテレビに出ていたりして、なにかニュースにTシャツ姿で出て、「一夜にして億万長者ですね」みたいな、何か若くて偉そうでもないのに、すごいかっこいいなと思ったんです。

小池:確かに1995年っていうと、僕もずっとアメリカにいましたけど、1993年にモザイクが出て、まだマーク・アンドリーセンが学生でしたよね。それで、1994年にジム・クラークと一緒にネットスケープ社を作って。さらに1995年にはナスダックにIPOをしてる。そこからインターネット系のニューエコノミーというか、その後のバブルというか、そうしたはしりだった。ちょうどその年ですね。

高須賀:あのモザイクが出た瞬間に、「これは日本の版権を得よう」と思ったのですが、そのときは既に富士通さんが取っていました。しかし、当時はポイントキャストというプッシュサービスがあったのを覚えていらっしゃいますか? 僕はすごいインパクトを受けて「これは絶対逃せへん」と思って連絡したんですけど、この時は競り合ったのですが結局ほかに取られちゃいました。あの時、アメリカがいろいろとわきたっていた、すごくエキサイティングな時期で、そこはすごく僕も見ていましたね。

小池:それで、じゃあ自分で作ろうと。とはいっても、資金が要りますよね。あるいは一緒にやる仲間も要りますよね。その辺はどうされたんですか。

高須賀:まず、社内ベンチャーは当時20人ぐらいの会社でしたが、私がやろうとしていた事業をやってみようといって、(松下電工を)辞めて(俺と一緒に)やるやつはいるかと聞いて、即答した2人と一緒にやったんです。それで、資金に関しては、一応当時も(小池さんがいまでも持っている)事業計画は同じもので、キャッシュで4000万ぐらい必要だったんです。用意できた資金はまだ足りなかったので、ベンチャーキャピタルとか銀行とか、すごくあたりましたよ。

(後編に続く・後編ではいよいよ高須賀氏が新たに起業した新会社LUNARRが明かされます。)

小池 聡

iSi電通アメリカ副社長としてGEおよび電通の各種IT、マルチメディア、インターネット・プロジェクトに従事。1997年にiSi電通ホールディングスCFO兼ネットイヤーグループCEOに就任。シリコンアレー、シリコンバレーを中心にネットビジネスのインキュベーションおよびコンサルティング事業を展開。1998年にネットイヤーグループをMBOし独立。1999年に日本法人ネットイヤーグループおよびネットイヤー・ナレッジキャピタル・パートナーズを設立。現在、ネットエイジグループ代表取締役、ネットエイジキャピタルパートナーズ代表取締役社長などを務める。日米IT・投資業界での20年以上の経験を生かしベンチャーの育成に注力。

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