GPL 3.0は現代版「虚栄のかがり火」か - (page 2)

文:Jonathan Zuck
翻訳校正:坂和敏(編集部)
2006年03月29日 22時15分
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 Wikipediaによると、「フィレンツェはすぐにSavonarolaの厳格な姿勢にうんざりするようになった」という。同じように、多くの人々がStallmanに背を向けるようになるだろう。Stallman とFree Software Foundationが、プロプライエタリなソフトウェアに対して彼らのイデオロギーを推し進めるのはもちろん自由だ。しかし、果たしてそれに従う者はいるのだろうか。

 Torvaldsは、多くの人々がLinuxの開発に関われる手段が欲しいだけなのに、GPL 3.0はあまりに多くの事柄を実現しようとしていると語ったと言われている。また彼は、Stallman派からの批判に答えて次のように反論している。「われわれは、神にひれ伏すことを人々に強制する十字軍ではない。コミュニティによる共同作業とオープン性がうまく機能することを示そうとしているだけだ」。。さらに、どっちつかずの立場をとることが多いIBMでさえ、最終的には、実用性とイデオロギーのどちらかを選択することになるだろう。

 かつてGeorge Santayanaは次のように語った。「歴史から学ばない者は歴史を繰り返す」と。Savonarolaは、最後には、民衆、そして教会からも背を向けられてしまう。そして、絞首刑ののち火刑に処されるという屈辱的な最期を迎えた。こうした極端な結果は現代ではあり得ないように思えるかもしれないが、GPL 3.0で、Stallmanが社会から取り残される危険を冒している可能性は大いにある。

 GPL 3.0で、Stallman は商業主義と袂を分かち、世間と真っ向から対決する姿勢を明確にした。こうした極端なやり方をとると、結局は、皮肉にも自分の目的に反する結果を招いてしまうことが多い。Savonarolaの極端に厳格なやり方は最終的に反感を買い、かえって市民生活の堕落を招いた。Stallmanの提案は、GPLに従ったコードの使用を大幅に制限することになる。GPL 3.0は結局、フリーソフトウェアの原理に自ら足かせをはめることになり兼ねない。

著者紹介
Jonathan Zuck
ワシントンD.C.を拠点に活動する業界団体Association for Competitive Technology(ACT)の会長。テクノロジー関連の問題に特化した同グループには、Microsoftを含む約3000社がメンバーとして参加している。

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